楽山舎通信

わたじん8の日記です

2016年が終わる

平成28年12月31日。

昨年同様に、あっという間の1年だった。

2004年から続けていたブログを削除して1年になった。それによって、何かが変わったかと言えば、たぶん何も変わっていない。

それよりも、フェイスブックのアカウントを削除したことの方が、変化としては大きかったかもしれない。FBでしかつながらない人たちとの縁が切れた。

同じように消そうと思っていたツイッターは、結局消すことができずに1年が過ぎた。

ツイッターは、誰がどの程度見ているか、わかるようなわからないような、FBよりも干渉が少なくて、ツールとしては自分に合っている。しかし、表現が短文ばかりだと、そこそこに構成が必要な文章を書くスキルは衰えていく。

ブログの更新が、自己表現の核のようになっていた頃には、何かのテーマについて、それなりに深く考察する時間を持つことが少なくなかった。例えば、この時期になれば、自分が一年間に読んだ、あるいは買った本を振り返り、自分なりにベスト本を選んだりしていた。その記録は、ブログにアップしたもの以外には何も残っていないので、全削除した今は、振り返ることもできない。

まあしかし、振り返る必要などないだろう。

今の頭の中に残るものが、この先につながればそれでいい。

ただし、頭の中も本棚も、「棚卸し」のような作業は、スッキリとした未来への道程を得るためには、必ず有効になる。そう思う。

年末年始の、自由度の高い時間は、自分の棚卸しのためには良い時間になる。

とりあえず、元旦は恒例の会津駒ヶ岳登山にでかけてみる予定だ。

この時間でも、予定としかいえない優柔不断さが、なんだかなってところだが。

明日からの新年。自らの意思で、良い年にしよう。するのだ。

ブログ再開してみよう

ぼくが最初のパソコンを買ったのは、1996年だった。

買ったのは、マッキントッシュのパフォーマだった。

大方の人とおなじように、それ以前はワードプロセッサー、ワープロを使っていたので、基本的にはワープロの買い替えという感じだったのだが、パソコンとワープロでは、できることに大きな違いがあって、「ワープロの時代は終わりだな」と実感したものだ。

パソコンでできることの中でも、インターネットというのは、恐るべきものであった。

基本的に、一匹狼スタイルで生きてきて、周囲にも同じ趣味の話のできる人がいない自分にとって、この「箱」はなんとも魅力的なものであって、インターネットなしには考えられない時代の始まりとなったのだ。

しかし、当時は今と違って接続する時間を短くせざるを得ず、その短時間で何をするかという制限の中での利用だった。「パソコン通信」によって、遠く離れた友人からはじまり、同じ趣味を持つ人どうしの情報交換、そして全く見ず知らずの人との対話と、人付き合いのヘタな自分にとって、「顔の見えない」関係による対話が、面白いものであると同時に、一言間違っただけで「炎上」してしまうという怖さも知ったものである。

1999年に、2台目となるバイオを手にした頃には、インターネット環境も急速に進化し、パソコンユーザーもどんどん増えて、ソフトも破竹の勢いでいろんなものが出るようになった。Windows98によって、時代が変わったということだったか。

ほどなく、自分のホームページを作って更新するようになった。

最初のデジカメを、8万円も出して購入したのも、この頃である。

ホームページを作ったのは、デジカメを買うちょっと前だったこともなり、ネットにアップする画像は、フィルムカメラで撮影した写真をスキャナで読み込んで、その解像度を加工してサーバーにアップし、ページの中に貼り付けるという、振り返るととんでもない手間暇をかけていたのだ。

ホームページは、テキストと画像が基本となるコンテンツであり、山スキーや登山の記録が主体となっていたのだが、テキストオンリーの「エッセイ」のコーナーを作って、思うことを記録に残してきた。

しかし、デジタルは「残っているようで残っていない」みたいなところがあって、当時の文章も記録も、ほとんど残っていない。無料サービスのジオシティ内においておいた山スキーの記録だけが、かろうじて残っている。

「ブログ」というシステムを知ったのは、2004年のことだった。

「なんと画期的なしくみだろう」

ホームページでテキストや画像をアップする手間が、一気に消えた。

それから昨年まで、ずっとブログを継続してきたが、昨年2015年の大晦日に全てを削除してアカウント解除した。その時のスッキリ感といったら、「雑念を消すとはこのことか」ってな気分だった。

あまりのスッキリ感で、ついでにフェイスブックもアカウント解除した。

ツイッターも解除するつもりでいたのだが、「放置プレイ」「既読スルー」的なところが居心地よくて、未だ解除できていない。

基本的に、ブログもツイッターみたいな感じで「誰が見てるかわからない」程度で良いと思っている。コメントに返信することは、「めんどくさい」としか思っていないクチだし、「コメント常連の感想に支配される」ことを良しとしないので、コメントは受け付けない設定にしようと思う。

とりあえず、20年ほどインターネット使ってきた自分の、今の気持ちは「コメントいりません」なのである。フェイスブックのうざったさの主要な原因は、誰が「いいね」したとか、コメントにまで「いいね」が割り込むとか、必要以上な干渉が、ほんとにまったく「ダメネ」だったのである。

そんなわけで、このブログは、特定の読者を想定せず、ひっそりとはじめることにしよう。