震災と原発事故で避難地域となっていた福島県の楢葉町と川内村。
AJ宇都宮さんの企画で、避難解除されて2年目の楢葉に行く400コースがすごく魅力的に思えて、エントリーした。
前半のルートラボ
後半のルートラボ
前半は、宮城と共催だった600コース主体で、石川広域農道通って小野から川内、そして楢葉。後半は、いわきまで平坦な海ぞいをはしり、北茨城の山の中に入って常陸太田から宇都宮というコース。
最大標高が670mほどながらも、ルートラボによる獲得標高は5000を超える。
衛星写真でみれば、いかに山の中をくねくねと走るかというのがよくわかる。
準備段階でやばかったのは、ブレーキパッド(レジンパッド)の交換。
なんか変な音し始めたなあと思ってみると、ほぼ擦り切れてた。さすがにこのままではまずいとおもって注文したのが3日前。なんとか前日に商品がとどき、交換完了。
ディスクロードは、5月に乗りはじめて、だいたい1000キロから1500の間くらいだと思うけど、こんなに減るものなのか。これでは、予備を持ち歩かないといかん。
当日の2時ころに自宅発。くらいうちについたけど、ブリーフィング終わってスタートまでの時間にライトがいらない明るさになった。
ブリーフィングで「上級者向けです」という紹介があったけど、地図みてもそんな気はする。スタート直後の鶴カントリーの坂を下った先のカーブでけっこう落車が多いので気をつけてという話も納得。
宇都宮森林公園のこの場所は、なんか闘志わいてきて好きだな。
第一ウェーブで検車。スタートしてもすぐに走り出す人がいなくて、じゃあってことで写真撮ったりして2番手でスタート。
震災前の、宮城の閖上とつなぐ600コースなどでよく走った道を遡る。
ああ、なんかいい感じ。「もどってきたぞ」。
2番目にスタートし、しばらくしてからスピードが別次元の参加者に次々と追い越されるようになる。脚をみると、皆さんすばらしく美しいヒラメ筋の脚。いや、当然という感じで。当たり前だけど、交差点での2段階右折も、きっちりと。
さくら市、太田原市を抜けてPC1の伊王野のセブン。参加者続々到着。
ここで旧奥州街道を離れて、栃木福島県境入りは、棚倉へ向かう県道60号。ここでやっと上りらしい上りにはいる。
棚倉の街中を抜け、棚倉田舎倶楽部(ゴルフ場)の脇あたりの、「え、こんな場所」みたいなところにシークレットPC。驚き。石川広域農道にはいる直前。
そういえば、以前はこのコースだと小野のPCが有人PCで、いろいろ情報もらったりしてたけど、最近はスタッフのいるPCってなくなったんだな。
そしていよいよ石川広域農道にはいっていく。
石川広域農道の入り口。とにかく、登って下って登って下っての波状攻撃。
でも、個人的にはこの道好き。緩いカーブと起伏と農村風景の連続が、すごく美しい。
途中でこんなの発見した。
とはいえ、やっぱり石川広域は、脚に効いた。
脚を使い切らないようにペース落としていたけど、平田に下ってフラットになってから両脚つりまくり。しかも、突然雨具なしでは耐えられないにわか雨となり、脇を走る磐越自動車道の下に退避。
けっこうヘロヘロになって小野のPCに到着。
そしていよいよ今回のルートの個人的核心部に入っていく。
日本のブルベの中で、放射能汚染から避難解除された地域に入る、最初のブルベが、この「宇都宮400楢葉」。その核心部の阿武隈山地を抜けて、楢葉にでる。
川内までは、宮城と結ぶ600コースで走っている道。これもすごく懐かしくて、ほんとに涙出そうだった。
小野から細い山道をせっせと登った先のあぶくま高原に、美しく存在する村、それが川内村。そういう表現で、間違いない。飯舘にしても川内にしても、葛尾にしても、昔は米作のできない冷涼地、もっというと「寒村」としてのイメージ。
それでも、そこで営みを繰り返すのは、その自然(森林)を利用した共生なわけで、同じような農地の風景でも、見ていると、訴える力が全然違う。しかも、放射能で汚染された田んぼを除染し、米作も始めている。
土地の歴史を思う。それでもここで米を造り続けるという暮らしを諦めないのは、その土地へ住むことへの最大の敬意なのかもしれない。戻った人、二度と戻らない人。いろいろな選択肢の中で、この風景が訴える力は強かった。
ぼくは、このフラットな場所で、しばらくこの田んぼの風景を見ていた。
そういえば、川内で話題のカフェが、cafe amazon。復興の進む中で出来た、オシャレなカフェ。ちょっとはいってみたい。はいればよかったな。
この道路は強烈だった。ある意味では、解除された道路の中でも、「ここをブルベで走るのか」という感じのマニアックさ。走るクルマは皆無。クルマが通った形跡さえ薄い。
しかし、驚くのは、川内の林の除染が驚くほど奥まで入っていて、不思議なほどに林床がきれい。
ここで、ミスコースしてとんでもない場所までダウンヒルし、なんか自転車通った形跡ないなあ(道路に枯れ木が散乱しすぎ)と気づくのおそすぎた。ほとんどグラベル。
登り返していると、後続者が下りてきた。「こっちはちがいますよね?」。その方も折り返し。「しかし、こんな道、よく見つけるはw」しばらくヒドイ道の話。
倒木や流れ出した砂利が多くて、慎重に下る。
木戸川ダムのあたりから一気に路面がよくなり、「木戸川渓谷」。木戸川ダムといえば、福島県知事が汚職で辞職した時の、問題のダムだったじゃないか。余計な知識ではあるが。
今回走った中で、ロードサイドの線量計が一番高い数値を示していたのは、川内の後半だったか。2.1マイクロシーベルトあたり。今にしては、高いと言えば高いのだけど、もうなんか、誰も気にしてない感じで。
木戸川ダムからは、交通量もなく広い道路をビュンビュン。がしかし、雨が降り出し、濡れるのイヤで雨具着用。
6号線に出ると、さすがにクルマが多い。
ものすごく多い。復興の空気感を感じる。
店に入ると、店員さんに「15番目ですよ〜」なんていわれて、ちょっとしたお祭り状態。でも、外はしょぼい雨。ちょっと寒い。
6号の折り返しも、最初は雨具着たまま。交通量は多いし、6号しか走ってないと、実際に楢葉の復興の気配を印象付けるような絵は記憶に残ってない。道の駅楢葉も、まだ道の駅として使うには至ってなかったし。
久之浜に入って、太平洋健康センター。2009年、オダックス埼玉の「アタック秋田」のゴールだった場所。懐かしくて涙出そう。
全体の中では、200から250の間。このコースの中で一番気持ちよく走れた区間。
海沿いは気持ちいいな。
いわきは、ほんとに生まれ変わってる感が強い。写真の反対側には、巨大なイオン建設中。
この先の、広い道路と工場地帯も、なんか良かった。写真ないけど。工場地帯離れて、植田に入って「だんだん最後のコンビニか」ってあたりで、水と補給食を買い込み、暗くなってたリアライトの電池交換。ナイトライドの準備。
そしていつしか、真っ暗闇の山の中へ誘われる。いわきから常陸太田へ抜ける山の中が、ほんとに辛かった。核心部はここだったのか。
今回はコマ図をiPadに入れ込んで来たので、暗くてもはっきり見えるのは良かったけど、編集の際に65から68の4コマそっくり落としていて、この30キロがつらいはルート確認で何度も止まるはで、個人的に核心部だった。
この下りあたりから、吐き気を催すようになり、リバースしたほうが楽と思うのだけど、結局胃液しかでない。腹減り過ぎか。酸っぱい系統のゼリー入れすぎか。走るの遅いので、自転車乗ったままゼリーを補給するのも、ちょっと限度があるな。
かなりヘロヘロになってPC5常陸大宮到着。暖かい飲み物欲しくて味噌汁購入。かろうじて、それと水だけは腹に入ったけど、固形物は受付ず。
この先、振り返っても、これという記憶もなくゴールまで。まあ、山の中の記憶も、ないといえばないのだけど。ナイトランなので、それも正義ではあるが。
ずっと雨っぽい天気で、道路にへたり込んで寝るって感じでもなかったのだけど、どこかの屋根のかかった自販機の側にへたりこんで30分くらい寝たな。ガーミンのログ見ても、PC5と6の間に30分停車してる。思えば、あれでかなり回復したんだ。
24時間34分でゴールした。
後半のナイトライド区間は、よくわかんない真っ暗は山の中を走ってるだけという感じで、走りとしてはここが核心部だった。旅としてみると、やはり川内から楢葉に抜けていく、「避難解除エリアが醸し出す空気」、が核心部だった。
自転車に乗っていろんな土地を見る中で、「自分がそこで何を感じるか」は、大事にしたいな。50代も半ばになって、場所を見る目、あるいは土地から感じる感性みたいなものは、もうちょっと磨きたいかも。
日常的ないろんな風景には、歴史とかその背景とか、それぞれにいろいろあるわけで、そのなかから、「あ、これは・・・」という発見を、この先どのくらいできるかということを、自転車に乗るトリッパーとしてのテーマにしよう。
振り返るのは、やはり大事だなと、ひと月たってブログにまとめながら思うのであった。