楽山舎通信

わたじん8の日記です

過渡期に入った「自然保護」その1

今年度(2017年)に入り、福島県自然保護協会のWEBサイトがインターネット上から消滅した。このことに関連して、思うことを記しておくことにする。

ある組織のWEBサイトが、更新を停止してインターネット上に放置されている例というのは山ほどある。組織の活動の歴史や広報のネット配信など、ネット上におけば、いつか誰かの目に留まるということもあるわけで、アーカイブとしてそれなりの価値を持つものだと思う。

そういったアーカイブを、すべて公開停止にするというのは、物理的にはホームページとして利用しているサービスとの契約問題があり、何年もかけて作ったコンテンツがすべて消えるということも、普通にあることではある。私のブログやWEBサイトも、そういった物理的な問題でネット上から消去されている。

しかし、今回の県協会のWEBサイト消滅に関しては、問題の根本は別にあるようだ。

サイト休眠に入った当初、「活動は継続しております」という断り書きがあった(今はない)。これはただごとではない。と、感じる人は少なくないはず。

それからしばらくして、「福島自然観察ネットワーク」というものが結成される。

このメンバーは、「福島県自然保護協会」のメンバーと同じである。WEBサイトの場所も、自然保護協会のあった場所と同じであり、大雑把にいえば「福島県自然保護協会」→「福島自然観察ネットワーク」という、組織再編があったようだ。

これは、私個人の感覚で言えば、歴史的結節点を感じさせる大事件である。

 

福島県自然保護協会の会長は、結成以来同じ方で、パイオニアであると同時にこれまで数々の業績を残してきた。日本自然保護協会の沼田眞賞(2009年)も受賞され、その後も県内外における自然保護関連の会合の主要メンバーとして活躍されている。

その組織のWEBが突如消えるのは、やはり、ただごとではない。

 

さて、ここからが本題である。

「自然保護」という活動が活発になるのは、1970年台後半からで、80年台に急速に各地の活動が盛り上がり、21世紀に入って活動が沈静化するというのが、かなり大雑把な時代変遷と理解してよいと思う。

「自然保護」は、「自然破壊」と一対であり、わかりやすく言えば、スキー場開発に反対する組織的な動きが「自然保護」活動であったと言える。

私の記憶の中にある象徴的な「自然保護」と言えば、1987年あたりの「白神山地のブナ林伐採反対運動」になる。80年台後半から90年台前半というのは、リゾート開発計画が目白押しの時期で、同時に大規模林道の開発も注目を浴びていた。それゆえ、「保護」運動も活発に展開されたのも、この頃である。

 

福島県内でも、スキーリゾート開発と大規模林道開発の2つが「自然破壊」の両輪であり、それぞれ個別の開発に対応する形で、「保護」団体が組織され、成果をあげた。

フレッシュリゾート構想で造成されたスキー場、例えばアルツ磐梯、グランデコ、箕輪などは、保護派にとっては今も「傷跡」であるのだが、逆の見方をすれば、それがリゾート開発の終焉であり、大規模な自然破壊は鳴りを潜め、時代が変わったのだ。

福島県内に関して言えば、忘れてはいけないのが、2002年頃の「南会津ブナ林伐採反対運動」である。

私も、あの頃は只見での集会に参加して、河野先生の話を聞きに行ったのだが、実に熱く盛り上がる運動となり、結果的に南会津国有林における森林管理のあり方自体を問い直し、しかも、只見町ではユネスコエコパーク登録という形に発展したのである。

あああ、本当に、時代が変わった。

21世紀は環境の時代という言い方がされていたが、振り返って俯瞰すると、たしかにそうなってきたと感じるわけである。

林野庁国有林管理のあり方も、大きく変わり、今や環境省よりも森林環境を守ることに熱心だという話も耳にする。

 

そう、時代が変わったのだ。

大きな「自然破壊」問題は鳴りを潜め、同時に「自然保護」の活動も、肉食系から草食系に変化。大声で「◯◯反対!」と叫ぶような展開はなくなり、自然を楽しむことが好きなものどうしが集まって、自然の織りなす繊細なしくみに気づく喜びを共有するような、観察系が中心となったのである。それは、日本自然保護協会の機関紙を見ていてもよくわかる。ちなみに、自分は1984年からのバックナンバーを保管しているのだが、何度もいうが、「時代が変わった」。

 

しかし、福島県に関して言えば、他とは全く違う問題が発生してしまった。

そう、原発事故による放射能汚染問題である。

人間の生み出したトラブルで、「人が住めない環境」になるというのは、自然破壊の最たるものである。当然、自然保護協会もこの問題に関わりを持ち、各地で放射能を計測したり、動植物の変化を観察したりしてきた。

まあ、ほんとうに、放射能汚染は捉え方が難しい。

見た目で変化を確認できるものでもなく、30年後にどうなるか、みたいな、「目に見えない破壊」とでもいえるだろうか。当然、人それぞれでいろんな見解が生まれるわけで、その価値観の違いが人間関係を悪化させたりもする。そう、放射能問題は、それに過剰に反応する人と、たいしたことではないと感じる人の間に、どうしようもない軋轢を生んでしまった。それは、大きく言えば、「反原発」「脱原発」という、エネルギー問題の根本に関する相違にもなり、脱原発として推進されるソフトエネルギー開発における自然破壊の問題にも関連していく。この時代における、最大の環境問題は、エネルギー問題にあると言って、たぶん間違いない。

つまり、「自然保護」の対象としてきたエリア的な破壊問題を大きく飛び越える形での「環境破壊」に、いかに向き合うべきかという、着眼点の変化を求められる時代になってきたのだ。

時代が変わったのだ。

リゾート開発や林道開発の時代は去り、保護してきた野生動物は繁殖して生息域を広げ、人は耕作を放棄して生息域を狭め、拡大ではなく、退縮の時代への入り口にきているのだ。少なくとも、人口減少社会に突入した日本では、80年台や90年台のような自然破壊の問題は、ほとんど発生しないだろう。

それよりも、多発する災害が起こす自然破壊から、いかに暮らしを守るのか、あるいは逃げるのかという、これまでとは違う価値観が求められる時代に入った。

 

組織の活動は、ルーティン化してしまうと、時代にたいする鋭敏な感覚を失ってしまうことがある。10年前に決めた方針が、今の時代に合っているかということを自問する習慣がないと、なんとなく同じような活動を続けるだけで、実は時代の流れから大きく離れてしまったりする気がする。

 

つまり、福島県自然保護協会に関しても、おそらくそういうことなのではないかと、勝手に雑感するわけである。