楽山舎通信

わたじん8の日記です

クリスマスクラシックコンサート

クリスマスクラシックコンサート
令和元年12月15日(日)午後3時から5時過ぎまで
二本松市安達文化ホール 前売り2500円

地元で開催された、母校(中学校)関連のコンサートに行ってきた。

この手のファミリーコンサートは、中年のお一人様親父にとっては、若干居心地の悪い空間であり、これまで敬遠してきたが、同級生のご子息が演奏することもあり、楽しみにしてきた。

ざっくりとした感想になるのだが、兎にも角にも、「この多目的ホール声楽家が演奏するのは酷である。」

このホール、残響時間ないに等しいよね。
というのは、2週間前の12月1日に福島市音楽堂で声楽家森麻季さんの独唱を聞いてきたばかりなので、ホールの差が、そのまま音楽の印象の差になってしまうわけだ。

響くホールならば、演奏レベルからしても、もっと感動できたんだろうなと思うけれども、様々な要因が絡んで、「まあ、ファミリーコンサートなんだし、そういう楽しみ方で」と、音楽の楽しみ方の方向性を修正せざるを得なかった。

「ファミリーコンサートだから」なのか、演奏家が舞台袖から出てきても、拍手が起こらない。それが当然という感じで。
で、演奏者が立ち止まり、一礼する段になってやっと拍手が起きる。この違和感に最後まで馴染めなかった。
演奏が終わって舞台から袖に戻る時も、本来ならば袖に消えるまで拍手続けるものじゃないかとおもうわけだが、拍手はすぐに止んでしまう。違うよな、それ。

クラシックのライブにおける「拍手」というものは、ある意味で聴衆が唯一許された表現でもあり、まあ最後の「ブラボー」ってのもあるけれど、一般的には「拍手」によって感動の度合いと演奏への評価と賛辞をつたえるわけである。

それはやはり、袖から登場した時の「待ってました」と始まる拍手であり、袖に引っ込んでしまうまでの、「良かったよ」という拍手なのである。
袖から舞台中央まで歩く間の10秒くらいの間が、拍手なしになってしまうのは、お互いに「間が悪い」。
ちなみに、自分は途中から、退場する時の拍手をなるべく袖に引っ込むまでの間に伸ばしていたが、同じような人は自分の他に2人くらいだったか。寂しくないか、それ。

もうひとつの違和感は、MC多いかな〜
「ファミリーコンサートだから」なんだろうけど、自分は、音楽だけでその空間を盛り上げていくライブやコンサートが好きなので、音楽と言語という、つまりは右脳と左脳の反応の問題に由来する心地よさのバランスが、MC多いと崩れてしまうのだ。まあ、ジャズコンサートは、基本的に細かいMCなくて、2曲連続とか3曲連続とか、一気に疾走するのが、やっぱり良いねん。

第2部の視覚効果で、音符の影絵?ライト が舞台にライティングされてたのが、おたまじゃくしの向きが反転していて、これが気になってしまい集中できなかった。細かいけど、こういう効果の精度は重要。

それにしても、左右サイドの後ろ側をカットした座席はほぼ満席で、300ぐらいは入っていたのだろうか。生音にふれる良い機会だったし、若手ミュージシャンの健闘ぶりもわかって、楽しい時間でありました。

大河ドラマ最終回見るし、あとでもうちょっと書くかも)