楽山舎通信

わたじん8の日記です

2019年 美術鑑賞のまとめ

2019年の、個人的総括。第2回は美術鑑賞。

 

ワタクシ、こう見えても、美術館めぐりは好きである。

そうそう、昔書いていたブログでは、越後妻有のトリエンナーレにハマった様子を書いていた。美術鑑賞の中でも、絵画系は、もうひとつピンとこない。平面形よりも、造形芸術、もっと言えば、岡本太郎が神様であると思っているタイプである。

その一方で、ある意味で真逆の位置にある東山魁夷の絵画は、痺れるほどに好きで、カレンダーは必ず買うが、2020は買わなかった。蛇足であるが。

 

2019年、とりあえず、一覧表で。

 

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2019美術鑑賞 表

1月。ブルーノート東京パット・メセニーを見に行ったのに合わせて、お向かいにある岡本太郎記念館を初めて観覧。

この記念館は、岡本太郎のアトリエであり住居であった建物。南青山という商業エリアの、まさに一歩入っただけの場所であるが、鬱蒼とした狭い庭には、岡本太郎の造形作品がズラッと、別の言い方では無造作に並び、岡本太郎ファンにとっては、まさに聖地、それである。ほんとうに、涙ちょちょぎれ。

写真撮影OKである。存分に写真撮影できる。1月7日ということもあってか、狭い記念館の中に、同時間帯の観覧者は数名。一人になれる時間もあって、あのアトリエはマジマジと見渡した。場の力を感じるのは、とても大事なことであって、妙に作りすぎていない空間構成が、ほんとうによかった。なんか、普通にアトリエにお邪魔しましたという、そんな感じで。

何度も行きたい。

2月16日は、大満足の3本はしご。

東京駅ステーションギャラリーは、初めて入ったけれども、空間構成が感性を刺激する。

そして、アルヴァ・アアルト。メチャクチャ混んでいた。20世紀フィンランドの建築家である。北欧家具のデザインの元を造ってきた。ギャラリーそのものが、北欧的な空間になっていて、とりわけ家具のデザインは、今のイケアにもつながっているものを見いだせる。

この日のことは、けっこう詳しくブログにまとめているから、まあいいか。

4月の福島県立美術館伊藤若冲展は、嘘みたいな大混雑で、ああ、クルマ回す場所間違えた、みたいなクルマの渋滞。渋滞の列に入る前に、逆方向からMAXの駐車場に入れて歩いたほうが賢い。で、展示の内容。伊藤若冲といえば、やはり動物の描き方、その緻密な表現と観察力、想像力。しかし、伊藤若冲がこれほどまでに、多くの年齢層に共感を与えるのは、なぜなんだろう。絵画としては、けっこう難しい表現じゃないかと思うのだけど。

ゴールデンウィーク、続いて東京のル・コルビジェ展と、大石芳野 戦禍の記憶。

コルビジェは、絵画から建築物の模型まで、大規模な展示だった。もちろん大混雑。

一部撮影可。展覧会によって、観覧者の属性みたいなものにけっこうな開きがあるのだけど、コルビジェは、思いの外若い女性が多かったという印象である。おじさんよりも、間違いなく多い。で、どう見ても設計建築系だろうなという人も多かった。なんとなくわかる。で、展示を通して生涯を知ると、やはり出会い、どんな場で仕事をしてきたかということが、その後につながっていくんだ。一つの作品でも、背景をいろいろと知ると、見え方が変わってくるよな。

で、恵比寿ガーデンプレイス東京都写真美術館での大石芳野展。

あやうくボロ泣きするところだった。これはブログに書いたか。

 

宮沢賢治記念館は、せっかく花巻に行ったし、朝ゴールの400ブルベのあとで時間あったので、せっかくだしってわけで。花巻は、この他にも見どころたくさんある。

 

そして、8月15日の森美術館、塩田千春展 「魂がふるえる」。

今年のナンバーワンは、文句なしでこれである。

あの最初の空間に入った時に、自分の魂もふるえて、思わず大泣きしそうになったが「いい年したオヤジなんだからやめろ」と最大限に自制心を働かせた。

「このヒト、ふつうじゃないな」そりゃまあ、現代アートで飛び抜ける存在は、全てが「並」のヒトではない。にしても、そのレベルがはるかに高い。命がけの芸術、命のあり方を、こわいほど見せられる。これはもう、ほんとうにすごかった。

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森美術館の塩田千春展が、想像を超える素晴らしさだったため、ボルタンスキー展見に行くか迷いながらも、森美術館からほど近い国立新美術館へ。

国立新美術館。なんと初めての訪問。2007年1月開館だから、12年前。「これは行かなくちゃ」と何度か思いつつ12年経ったってことか。この建物見るだけでも、十分なインパクト。あの流線型のデザインが持つ独特の空間の優しさと気品。すごいよ。ほんとに。

ボルタンスキーは、越後妻有で見た時もいまひとつよくわからないというか、共感するものがなかったが、とりあえずチェックはしておこうか、みたいな。

これは、塩田千春の魂見たあとで見ても、なんかね、「負けでしょ」みたいな印象しかない。申し訳ないけれど。

ついでに、といっては失礼だけど、気になっていた「虫展」

これは、予想以上に素晴らしかった。昆虫好き必見。だったな。

 

福島県立美術館やなぎみわ展。

知名度の低さと、作品のわかりにくさみたいなのもあるのだろうけど、日美のアートシーンでやっていたにもかかわらず、ほんとうに、寂しい程しか人がいない。

インスタレーションは、非絵画系現代アートが好きな自分にとっては、意味不明なりにも、楽しめた。すべての意味を、鑑賞者が理解できるわけないじゃないか。意味不明でも、なにか伝わってきて、忘れられない記憶になっていれば、あるとき、そのアートの答えがわかったりもする。それが現代アートなんだ。

 

11月の正倉院の世界。

日美で取り上げられた直後だったのだろうか。ものすごい混雑で、ゆっくり鑑賞する感じでもなかったが、螺鈿細工の琵琶は、ほんとうに美しかった。レプリカじゃない本物のほう。いや、レプリカ見せられても、それで十分に美しいけど、あの状態で残されているってのが凄いな。今の時代は、そういう意味では、後世に残せるものは何も生み出せていない。それって、何?

文明は、果たして進化しているのか、退化しているのか。

芸術の手法にしても、製作技術にしても、工業的になることでなんらかの価値を失っているのか。

で、同じ歴史博物館の東洋館の「人・神・自然」。

こちらは人少なくてゆったりと鑑賞。大迫力の仏像などの展示で、宗教的な空間になっているのだけど、なんか、「魂抜かれてる」感が半端ない。オブジェになってしまっている。なんでか。まあ、ゆっくり見る時間もなくて、ざっくりと鑑賞。

 

このほかにも、たぶん2つくらい見てる気がする、というか見ているのだけど、科学博物館で見たのは常設展だったのか企画展だったのか、パンフ捨てたのか? いずれにしても、それほどのインパクトを伴わず、時間つぶし的に見たのかオレは。

そういえば、あいちトリエンナーレの年だった。

見に行ってもいいかなと思っていたが、「表現の不自由」事件に絡んで情報みてるうちに、行く気が失せた。2013年は、五十嵐太郎さん芸術監督だったこともあり、中の作品の一部に絡んだこともあり見に行ったが。ああ、そんなこともあったな。

 

以上である。