楽山舎通信

わたじん8の日記です

2020年2月10日 Lyle Mays 逝去

2020年2月10日。
Lyle Mays ライル・メイズが逝ってしまった。1953年11月27日生まれ。66歳没。

パット・メセニー・グループのファンでもなければ、このジャズピアニストの名前は知らないかもしれない。

パット・メセニー・グループ」は、パット・メセニーライル・メイズと出会うことで1977年(メイズ24歳メセニー23歳)誕生したわけで、ピアニストとしてのライル・メイズがいないパット・メセニー・グループはあり得なかった。

そういう意味では、2005年に出したグループ名義のアルバム、「THE WAY UP」が最後のアルバムになってしまうのだろうか。すでに15年も経っているが、その間にグループ名義のアルバム、及びライブも一度もなく(2009年にブルーノート東京でライブあったらしい)、ライル・メイズの名前をネット上で目にする機会もなかったので、表に出る音楽活動はやめていたのか、それとも病気なのかと想像していた。
この訃報にあたり、かすかに情報がでてきて、さっそく更新されているウィキペディアには「再発性疾患との闘病生活の上」とあるので、肉体的精神的にも、それまでのような音楽のステージに立つということは難しかったのかもしれない。

パット・メセニー・グループでは、良くも悪くもパットだけが突出して目立ってしまう傾向があり、その意味ではピアニストのライルは陰の存在でもあったのだけど、実際、ステージでの表情、印象からしても、ブラジル的(?)に明るいメセニーとは対照的に、あまり感情を出さない、内向的なエネルギーを感じるのがメイズだった。
最も、ピアニストという立ち位置は、聴衆と視線をあわせることは稀というかあり得ないポジションで、常に鍵盤か楽譜を見つめ続け、たまにメンバーと視線を交わすくらいなので、それが普通なのかもしれないが、自分の好きなピアニストの中では、チック・コリアとは対照的なピアニストということになる。
ソロパートの展開を見ても、「どこにいっちゃうんだろう」という、幻想的な、「あっちの世界」に持っていかれることが少なくなく、私としては、その独特な瞑想的なトリップが好きだったからこそ、ライル・メイズというピアニストが好きだったわけでもある。

ライル・メイズその人に関する情報は、パット・メセニーの情報に比較すると、10分の1どころか、100分の1くらいの量かもしれない。
私が持っているCDで、ライル・メイズ名義のものは2枚しかないが、そのうちの1枚「ストリート・ドリームス」という1988年のアルバムは、たぶんライルのCDの中では最も売れた一枚かもしれない。
パット・メセニー・グループが、最も脚光を浴びていた時代がその頃で、87年の「スティル・ライフ」89年の「レターフロムホーム」の2枚は、ジャズ・フュージョンにおける名盤といってもいいアルバムだし、その狭間での「ストリートドリームス」も、当然その波の中にある音楽だ。

といっても、私がこの1988年のアルバムを知ったのは、つい2年前の話で、NHKFMの夜のプレイリストで、どなたかが紹介していた一枚だった。

昔だったら、これは中古レコードショップで探すことになるわけだが、インターネットの時代は、ヤバい。即ゲットした。

驚いたことに、このアルバムは日本盤だったのだが、そのライナーノーツが非常に興味深い内容だった。ライル・メイズについて書かれたものとしては、「国宝級」と言っても過言ではない内容。輸入盤ばかり買っている自分としては、ちょっと高くても日本盤のライナーノーツの情報は侮れないなと実感。

その中からキーワードを紹介すると、ひとつは「ビル・エバンス」もう一つは、「ライルのバランス感覚で言えばパットは破綻している」。

本人の言葉から引用すると、
「ライティングに関しては、ストラビンスキーやプロコフィエフラヴェルといった作曲家たちから多くを学んだ。オーケストレーションに関しては、スティーブ・ライヒからもかなりの影響を受けた」とある。

ただし、本当に残念なことに、パットとの間で、何かがズレてしまっていたのかもしれない。
SOLOで突き詰めている音楽の世界のその先に、ほんとうは立ち入ってはいけない世界があったのかもしれない。
パットがフェイスブックなどで書いているニュアンスからも、ちょっと簡単には言えないミゾの存在を感じるし。

ともあれ、1980年代からのかなりの期間、ぼくにとって一番のお気に入りだったジャズピアニストは、ライル・メイズだったということは間違いない。

パット・メセニー・グループの、「らしさ」を感じるメロディラインの少なからずは、やはりライル・メイズのピアノやキーボードなしではあり得なかったのだ。

彼の訃報から1週間。
この訃報を伝えて、追悼の曲をラジオから流してくれるのは、ピーター・バラカンさんの番組くらいかなと思っていたが、昨日、土曜日のNHKFM「ウィークエンドサンシャイン」では話題にならなかった。

そして、今日、もうひとつのバラカンさんの番組、interFMのバラカンビートではさすがに話題になるだろうと思って聞いていたら、最後の最後にライル・メイズのことが語られた。この番組聞いているライル・メイズファンが、黙ってはいなかった。
追悼曲として流れたのは、1981年のアルバム、Pat Metheny & Lyle Mays "As Falls Wichita,So Falls Wichita Falls"から、September Fifteenth(dedicated to Bill Evans)

なんとも沁みるリクエストだった。

何度振り返ってみても、ぼくのここまでの音楽の趣味は、パット・メセニー・グループを軸として広がってきた。

だからこそ、

ありがとう、Lyle Mays
どうぞ、安らかに。