2020年5月31日。午後9時。
静かにエントランスの扉が開き、4人のスタッフの出迎えを受けて、観客である私達は緩やかなアール状の階段を2階にあがり、そこからホールの一番後ろの分厚い扉を2枚開けて、オーチャードホールの中の空気にふれる。
観客は誰もいなくて、ステージの中央にはピアノが一台。
客席に座っていた小曽根真さんと三鈴さんといっしょに、カメラはステージの上へ。
ステージは、これまで52回続いてきた小曽根さんのライブストリーミングのリビングルームと同じような設えになっていて、オーチャードホールという空間がもたらす重厚な緊張感を解きほぐし、本当に、ここが「ホーム」であるような気持ちになる。
音楽が好きな人にとって、大好きなコンサートホールは、たぶん「ホーム」だろうし、その人の人生にかけがえのない潤いを運んでくれるオアシスであるに違いない。
4月9日に始まった、ピアニスト小曽根真さんのライブストリーミングの53回目。
最終回は、とてつもないサプライズだった。
2150席の、あのオーチャードホールを貸し切っての、無観客ライブストリーミング。
4月7日に緊急事態宣言が出されて、「ステイホーム」の世界の中、様々な環境の中からのインターネットを通しての無料ライブは、間違いなく史上最大と言える数だったと思うし、全てを把握できないくらいにすごいことになっていたと思うけれども、毎日53回も続けて、その最後を憧れのホールのステージでというサプライズを用意していたアーティストは、たぶん、小曽根さん以外にはいないだろう。
このサプライズはもちろん、小曽根真さん1人の力ではなく、パートナーの三鈴さんと共につくりあげてきた音楽の時間だし、音響や照明などの裏方で支えてくれたスタッフの力添えでもあるし、何よりも、この時間を楽しみに、インターネットを通してライブを鑑賞しに集まってくる世界中の音楽ファンたちの一人ひとりの気持ちの反映であるのかもしれない。
私は、この夜の演奏を聞きながら、小曽根さんのファンであることを、本当に誇りに思えたし、1987年に最初に買ったCDが、小曽根さんの”NOW YOU KNOW”だったことに、我ながら耳はそんなに悪くないか、と思ったほどである。
1987年の「ナウ・ユー・ノー」のライナーノーツは、TOKYOJAZZでもおなじみの小川隆夫さんが書いているのだが、最後にこうある。
「小曽根真。未だ26歳のこの若者は、これからどのように育っていくのだろうか。」
あれから、33年の2020年。パンデミックの世界で、ライブハウスもコンサートホールも、全ての公演がキャンセルされたままの世界で、音楽を必要とする人たちのために、音で新しい世界の扉を開けてくれた1人が、59歳の小曽根さんだった。
ほんとうに、すごいよね。このエネルギー。
「人類は、言葉を生み出す前に、音楽を生み出した」と言ったのは、霊長類研究者の山極寿一だったろうか。最近見たテレビ番組での言葉。
音楽が、喜びや悲しみや、希望を表現し、共感する世界を生み出してくれる。
そのことを、この小さな無観客コンサートで、改めて痛感した。
音楽でつながっていく。
その時が来たら、私もまた、オーチャードホールや、ブルーノート東京や、たくさんのホールに今までよりもたくさん、足を運ぼう。
パンデミック後の音楽の世界は、きっとより一層、強く心に届く音楽の世界になっているに違いない。
それは、世界が変わっただけではなくて、この体験を通して、私も変わったから。
小曽根さん、三鈴さん、ステキな時間を、ほんとうにありがとうございました。