楽山舎通信

わたじん8の日記です

「メガステージ二本松」と「若者に魅力ある街」

6月5日、二本松市長のフェイスブックで、「メガステージ二本松」が話題にされていた。

若者の意見をまとめたものらしいレジュメが2枚、画像としてアップされていて、その内容を含めて、この投稿自体に「なんだかなあ・・・」と、軽いめまいを感じたのだけど、これを話題として取り上げるべきか、スルーするか迷いながら1週間。

やはりこれは、問題提起として、ブログにアップしておく。

おそらく、このテーマをSNSやブログにアップするのは、自分ぐらいしかいない気がする。問題意識としては、みんなそれなりに持っている開発のはずだけど、いわゆる「まちづくり」の対象として、これが商工会議所とか地域のまちづくりNPOの間で、正式なテーマとして議題にあがることは、ないような気がする。

酒飲みでのテーマとしては、上がるだろうが、このご時世、居酒屋でツバ飛ばしてまちづくりを語り合う、なんてことは、皆無である。色んな意味で、不気味にまちはおとなしいのである。

 

フェイスブックの記事の話の前に、メガステージ二本松の位置情報を抑えておく。

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メガステージ二本松位置情報

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メガステージ二本松位置情報2

グーグルマップから2枚。

ひと山を削って、造成中である。現地で見ると、ドローン飛ばして撮影するでもない限り、全体像を掴むのは難しい。

 

今年(2020年)の4月に、新型コロナウイルスの影響で説明会が中止となり、その時に配布された資料が、次の画像。

 

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メガステージ二本松全体配置図

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メガステージ二本松説明会

 

続いて、二本松市長のフェイスブックページのリンク。

 

www.facebook.com

 

フェイスブックのリンク先が見れない方のために、そこにアップされている資料の画像。著作権がどうなのかわからないけど、SNSでシェアが可能なページは、公開前提なのでOKと判断して。

 

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資料を揃えたところで、ここからが私の意見である。

 

 「メガステージ二本松」は、新たな造成地の中に集積する商業施設としては、二本松地区で最大の商業地になる。

この形態の商業施設は、安達駅前エリアの開店ラッシュが著しく、「二本松市」と言いながらも、商業エリアの核は、旧安達町の油井地区に移動した。二本松市の現状を知る人であれば、これに反論を唱えることのできる人は皆無だろう。

二本松市の、現在の商業エリアの中心は、油井である。そして、市内で唯一、人口が増加してるのも、油井エリアである。震災後、ものすごい勢いで住宅建設が進んできた。新しい街である。これを、一般的な「郊外型新興住宅地」というカテゴリーに当てはめるのは、私は違うと思っている。「郊外」ではない。駅との距離感で言えば、二本松市中心市街地エリア同等の地理的条件であり、郊外型の開発地とは、ちょっと違う。

安達エリア隆盛の時勢にあって、「メガステージ二本松」の開発は、「これは、いけるのだろうか?」という、若干の疑問も浮かぶのだ。

安達エリアには、核となる大規模店舗が2つある。

平成15年(2003年)6月開店のベイシア安達店。8403㎡。

平成19年(2007年)5月開店のパワー安達店。6820㎡。

(出典:経済産業省 大規模小売店舗立地法届出)

ちなみに、安達町二本松市が合併したのが2005年の12月。安達駅前の開発が進み出すのは、合併前のことであり、大雑把に言えば、すでに20年前の話になる。すっかり地域に定着しているし、これを核店舗として商業エリアとしての成長は進んでいる。

そこに、ヨークベニマルダイユーエイトを核とする新たな開発。商圏人口は、今後の伸びる要素はなく、インターネット通販の隆盛を見れば、衰退するリスクの方が多い。

まあでも、商業関係の法律をパスし、一山削る大掛かりな造成に資金が回るのだから、採算が合う開発なのだろう。

 

市長のフェイスブックに出ていた資料では、要するに、「他にあって二本松にないショップ」の名前を出すことが目的みたいになっていて、近隣で言えば、郡山どころか本宮にさえも追いつかないチェーン店の少なさが、「まちの魅力」を大きく左右しているということになるのか。

まあ、そこは個人個人で捉え方の違うところだし、二本松にも郡山や仙台と同じようなチェーン店が欲しいと思うのは、商圏人口とか立地条件という話は関係なしに、要望としては、有りなんだろう。

当然のことながら、安達エリアに展開しているチェーン店の動向を見ながらの、新規出店となるのだろうが、新型コロナのパンデミックに翻弄される2020年に、何が来るだろうか。

メガステージ二本松の開発者と、行政の首長が話し合いを持つのであれば、重要なテーマは、レジュメのようなことではないだろう。

現状の、「一山削る」開発を見ていると、それで激変する環境が、今後増えていくと予想されるゲリラ豪雨などによって大きな災害リスクにならないか、ということが一つある。あるいは、災害時におけるライフラインの確保に、スーパーマーケットやホームセンターができることは何か、というテーマもある。

若者が、「これが欲しい」と言ったチェーン店を、そのまま新たに開店することが、果たして「魅力」につながり、「市民とともに」と言えるのだろうか。

「若者に魅力あるまち」と言って、このレジュメ2枚ほどの話で終わってしまうならば、それは首長としては「思考停止」の状況だろう。地域のリーダーとしてのビジョンにかける。これで、50年100年先の将来像とか、結びつけるのも難しい。

様々なモノ、コトが、持続可能型であるようなビジョンをつくるのが、首長たるリーダーの役割かもしれない。が、ここまでの30年よりも、ここからの30年の方が、はるかに予測困難な時代であることは、確実といえるかもしれない。

そういう意味では、首長や議員などは、どんどん若返りを進めて、時代の変化に敏感な人材を育成することが、「魅力づくり」のために、最も重要なことかもしれない。

 

 

小曽根真さんのライブストリーミング最終回によせて

 

 

2020531日。午後9時。

東京渋谷のBunkamuraオーチャードホール

静かにエントランスの扉が開き、4人のスタッフの出迎えを受けて、観客である私達は緩やかなアール状の階段を2階にあがり、そこからホールの一番後ろの分厚い扉を2枚開けて、オーチャードホールの中の空気にふれる。

観客は誰もいなくて、ステージの中央にはピアノが一台。

客席に座っていた小曽根真さんと三鈴さんといっしょに、カメラはステージの上へ。

ステージは、これまで52回続いてきた小曽根さんのライブストリーミングリビングルームと同じような設えになっていて、オーチャードホールという空間がもたらす重厚な緊張感を解きほぐし、本当に、ここが「ホーム」であるような気持ちになる。

音楽が好きな人にとって、大好きなコンサートホールは、たぶん「ホーム」だろうし、その人の人生にかけがえのない潤いを運んでくれるオアシスであるに違いない。

49日に始まった、ピアニスト小曽根真さんのライブストリーミング53回目。

最終回は、とてつもないサプライズだった。

2150席の、あのオーチャードホールを貸し切っての、無観客ライブストリーミング

47日に緊急事態宣言が出されて、「ステイホーム」の世界の中、様々な環境の中からのインターネットを通しての無料ライブは、間違いなく史上最大と言える数だったと思うし、全てを把握できないくらいにすごいことになっていたと思うけれども、毎日53回も続けて、その最後を憧れのホールのステージでというサプライズを用意していたアーティストは、たぶん、小曽根さん以外にはいないだろう。

このサプライズはもちろん、小曽根真さん1人の力ではなく、パートナーの三鈴さんと共につくりあげてきた音楽の時間だし、音響や照明などの裏方で支えてくれたスタッフの力添えでもあるし、何よりも、この時間を楽しみに、インターネットを通してライブを鑑賞しに集まってくる世界中の音楽ファンたちの一人ひとりの気持ちの反映であるのかもしれない。

私は、この夜の演奏を聞きながら、小曽根さんのファンであることを、本当に誇りに思えたし、1987年に最初に買ったCDが、小曽根さんの”NOW YOU KNOW”だったことに、我ながら耳はそんなに悪くないか、と思ったほどである。

1987年の「ナウ・ユー・ノー」のライナーノーツは、TOKYOJAZZでもおなじみの小川隆夫さんが書いているのだが、最後にこうある。

小曽根真。未だ26歳のこの若者は、これからどのように育っていくのだろうか。」

あれから、33年の2020年。パンデミックの世界で、ライブハウスもコンサートホールも、全ての公演がキャンセルされたままの世界で、音楽を必要とする人たちのために、音で新しい世界の扉を開けてくれた1人が、59歳の小曽根さんだった。

ほんとうに、すごいよね。このエネルギー。

「人類は、言葉を生み出す前に、音楽を生み出した」と言ったのは、霊長類研究者の山極寿一だったろうか。最近見たテレビ番組での言葉。

音楽が、喜びや悲しみや、希望を表現し、共感する世界を生み出してくれる。

そのことを、この小さな無観客コンサートで、改めて痛感した。

音楽でつながっていく。

その時が来たら、私もまた、オーチャードホールや、ブルーノート東京や、たくさんのホールに今までよりもたくさん、足を運ぼう。

パンデミック後の音楽の世界は、きっとより一層、強く心に届く音楽の世界になっているに違いない。

それは、世界が変わっただけではなくて、この体験を通して、私も変わったから。

小曽根さん、三鈴さん、ステキな時間を、ほんとうにありがとうございました。

 

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2020年5月31日日曜日

どうにも調子の上がらない日曜日だ。

5月最後の日曜日で、天気は悪くなく、しかも、2020年の5月終盤というのは、3月の末から始まったCOVID-19による緊急事態宣言開けの、爽やかで貴重な日曜日なのである。

ちょっとしんどいなあ、ってのは、一昨日29日金曜日の夜から始まった。

土曜日の朝起きて、「これは遊びに行く天気。休みたい」という気分だったし、たぶん体調は優れなかった。

某所のリノベーションで、ある程度できていたモノをひっくり返して、やり直すという仕事に3日間付き合った。

個人的に、というか、世の職人のほとんどはそうだと思うが、一度作ったものを、「やっぱりちがう」なんつって、壊して作り直すなんてことは、「コノヤロー」と思うほどに嫌いなはずだ。

ここまでかけてきた、だぶん10人分くらいの仕事量が無駄になり、別のカタチに作り変える。

まあ、仕事だからしょうがないかと、諦めるしかないわけで。

金曜日のしごとは、ショールームの一角にマシンカットのログ(Dタイプの丸太)を積み上げて、最終的な化粧として「アーチカット」を刻むというものである。

ログハウスを見たことのある人であればわかると思うが、ログハウスのアーチカットというのは、ほとんどの場合は一番の見せ所であって、マシンカット(工場での大規模な機械による加工)の場合は、人の手によって加工される唯一の場所となり、ある意味では、そのことによって「魂が入る」くらいの見せ場となる。

まあ、できてしまえば、そんなことはどうでもいいくらいに、「自然に」背景として馴染むものでしかなく、存在感はできるだけださないようなデザインにすることが好ましい。

若い頃は、このアーチカットを「オレのチカラ」を見せつけるべく、力んで加工してきたが、さすがに60近くなると、「なるべく目立たずシンプルに、違和感のない」仕上げにすることを心がける。

ハンドカット材の荒々しいログの場合は、ラフな仕上げでも馴染んだものになるが、マシンカットの場合には、アールの曲線のちょっとしたブレみたいなものが恐ろしく見えてしまうので、そもそもが、左右対称のデザインをフリーハンドで描くということことからが、簡単なようでいて難しいのである。

フリーハンドでシンメトリー。

しかも、丸みを帯びる側面と、平坦な側面の両方は、きっちりと水平なラインを保たねばデザインの質を落とすことになる、これまたけっこう難しい。

やったことのある人でないと、これはわからない。

角ログで、両側面が平坦であれば、刃物(チェーンソー)を両側から入れることができるが、Dログの場合は、丸みの付いている方に、カットするためのラインを引くことは難しいので、平坦な側から一方的にチェーンソーを入れていく。

この時に、自分から見えない反対側のどこに刃先が出ているかを理解しながらブレードを動かさないと、デザイン上、後戻りできない失敗に繋がる。

実に神経を使う。

自分は、上半身の筋力が劣っているので(自転車乗りにありがち)高い位置でチェーンソーのブレに戦いながら、それをアールの曲線にまわしていく、というのは、筋力的に限界すれすれだった。

まあ、最終的にそこそこ満足できる出来になれば、それは忘れてしまうが、2日後に疲労がたまっているというのは、どうなんだろう。

原因は他にあるのか。

とにかく今日はスポーツアクティビティなし。

週間運動量のノルマに、あと90分足りないが、今日は無理っぽい。

 

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アーチカット

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アーチカット