楽山舎通信

わたじん8の日記です

令和元年5月2日 東京

令和元年5月2日(木)特例で「国民の休日


午前は仕事して、午後から思い立って上京。
国立西洋美術館 ル・コルビジュエ展
東京都写真美術館恵比寿ガーデンプレイス)「大石芳野写真展」
ブルーノート東京 アルフレッド・ロドリゲス トリオライブ
上野に降り立つ。暑い。いつもよりも、さらに人多い。

さっそく西洋美術館へ。チケット購入に15分待ち。中に入ると、意外にスムーズに鑑賞できる。建築史で外せない巨匠の足跡を追いつつ、

建築が生まれた時代背景を探る。
重要ワードは、ピュリスム、キュビリズム。

ブルーノートの開場まで時間があったので、山手線外回りに乗車して、恵比寿あたりからブラブラ歩いていくかというプラン。
恵比寿で降りて、ブルーノート向けて歩き出したところで、「東京都写真美術館→890m」という標識が目に入る。

西洋美術館が閉館の時間に外に出たので、他の美術館をはしごするという考えがなかったが、写真美術館で開催されている大石芳野写真展も、チェックしてカレンダーに入れていたことが、頭のトップページにバーンと浮かんできた。
WEBで開催時間見ると、20時とあるではないか。

そこで、方向転換して恵比寿ガーデンプレイスを目指す。
自分の「日常」の街とは、あきらかに違う「非日常」で、「祝祭空間」としての街が、歩いているだけでもテンションをあげてくれて、楽しい。

まだまだ大勢の人が集まっているガーデンプレイスの、なんだか上質な空気感。時間がないので、さっさと写真美術館に入り、チケットの買い方に戸惑いながら(展示は一つだけではない)地下一階のギャラリーへ。
そこで最初に目に入ってきた写真と向き合い、もうなんか、あふれる涙を抑えるのが必死だった。
ぼくの他にも、すすり泣くのを抑えている人が複数いたので、静粛な空間でも、写真の訴える迫力に共感してすすり泣くのは、止めようがない。
学生時代、1980年前半に見に行って衝撃を受けたベトナムの写真も、もう一度ここで見ることになった。学生の頃は、辛くて見ていられない写真だったが、再会した写真にはじっくりと向き合い、「戦争の悲惨さ」と、それを、誰も伝えなかった視点で写真として伝えることの大事さを痛感しながら、人の営みを、どんな状況でも行きていくことの、静かな力強さを感じる時間だった。ライブ開演の時間が迫ってきて、後半は飛ばし気味に見ざるを得なくなったのは、残念だった。

恵比寿から南青山のブルーノートまで徒歩で移動し。まあ、ここでタクシー使うという手もあったし、「バス」で最寄りの場所までという手もあったが、「徒歩25分」というグーグルの表示は、早歩きなら15分か、ぐらいの感じで、都市の景観を楽しみつつ、早足ウォーキングした。都会の空間も、悪くない。

開演20分前に入場。
席は、いつもの通りに一番うしろのカウンター。早めに入ってる時には、右手のカウンターサイドを進められるが、左サイドで、ピアノプレイヤーの手元がはっきり見える角度の席となり、ここからボルテージ高まる。

ALFREDO RODRIGUEZ アルフレッド・ロドリゲス。

4月30日、インターナショナルジャズデイの、ブルーノートからのストリーミングを鑑賞し、その時にこのピアニストの演奏に惚れ込み、直後のブルーノートでのトリオライブのチケットをチェックしたところ、2日のセカンドステージに空きがあったので、速攻でゲットした。

クインシー・ジョーンズが認めた才能というだけのことはあって、まあ本当に、すごい。凄すぎる。

ピアノは「打楽器」だということを、なぜか強烈に感じた。鍵盤を叩く打楽器だ。
ピアノという楽器に、あれだけの感情、喜怒哀楽を込められるというのは、学ぶものではなくて、やはり天才なのだと、思わずにはいられない。繊細にピアノをかき鳴らす悲しみの表現は、ジャズというよりはクラシックよりの旋律なのだけど、ジャンルがどうなのかということは、最早どうでもいいことであって、あそこまで演奏に入り込み、聴衆を釘付けにするジャズ・ピアニストは、現代のプレイヤーの中には、いないのではないか。ほんとにもう、魂を持っていかれた。
ジャズ聞きに来て、頬を涙が伝うなんていう経験は、今回が最初で最後かもしれない。
あのソロ演奏の時には、たくさんいるテーブルの係員が、たぶん一人も動いていなかった。いや、そこに注意を払うほどの余裕もなく、ピアノに集中力の全てを払っていたのか。
とにかく、すごいピアノプレイであった。
自分の中では、最早伝説クラスの。こんなピアノ弾きがいて、生でその演奏を聴けたのだ。

この言い方は、パットには申し訳ないが、1月にでかけたパット・メセニーの2つのプログラムが、一気に後ろに隠れてしまった。でもそれは、このタイプの音楽が好きな人なら、わかってくれるだろうし、パット・メセニーも、それを理解してくれるにちがいない。

ルフレッドロドリゲスのステージが素晴らしいのは、ソロ・ピアノを含めて、繊細で聴衆サイドがグラスの音を出すこともためらうような演奏(魂もっていく3本くらい)と、それとは全く正反対の、陽気でポップな演奏とのバランス、というか、音楽はこれだけの悲しみを表現できながら、また同じ楽器で、同じ人が、はちきれんばかりの陽気な楽しさを表現できるという、音楽の幅と深み。
いや、なんかうまく表現できないが、軽い感じで「お楽しみください」ってのとは、全然違うプレイであった。
「私の人生を、私の悲しみを、そして私の喜びを、全てを音楽にして伝える」感じ。これは、クラシックのピアニストにも、たぶんなかなかできない領域のプレイ。ほんとにすごかった。

ブルーノートのセカンドステージだと、新幹線で帰るのはほとんど無理なので、諦めて夜行の高速バス。
この時期なので、ふだん3000円ぐらいの気がしてたのが、その倍。モバイルSuicaで新幹線の指定席チケット取るのと、1000円くらいの差しかない。つまり、気分的に割高だけど、他に手段ないので、バス。

高速バスの時間までを、東京駅近辺でブラブラ歩いて過ごそうというプランで、八重洲口鍛冶橋バス停を選択。しかし、東京駅の八重洲口側というのは、JRバス含めて高速バスの駅になっているのだが、すごいバスの量と、それを待っている主として若者の「群衆」といってもいいか、時期的なこともあるのだろうけれども、その「人の群れ」が、一種独特な様相を示していて、新幹線移動とはまた別の、時代の現実というものを目の当たりにした。いろいろと分かっていないと、人混みをかき分けて、自分が乗るべきバスに乗れない。すごい。これも日本の現実。そして、当然そこには、外国人旅行者も混じっている。お知らせのボードは、当然多国語でアナウンス。

そんなこんなで、還暦近いオヤジには、いろいろと刺激の多い、半日の東京滞在であった。

東京は面白い。

 

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