楽山舎通信

わたじん8の日記です

BRM622宮城600龍飛崎

令和元年6月22〜23日


BRM622宮城600龍飛崎を完走した。

フィニッシュした時間から新幹線で帰宅は無理だったので、八戸駅前のビジネスホテルで宿泊。このホテルの対応、及び無料の朝食がすこぶるよく、しかも八戸市内を観光する余裕もなかったので、改めて訪ねてみたいと思うわけである。

スタートは22日の午前5時、宮城県の古川駅前。
ゴールは八戸市内、23日の午後9時がタイムリミットで、必然的に鉄道移動。しかも、前泊で2日走って後泊。たっぷりと時間がほしい。そこが今回の第一関門ではあった。

この時期なので、雨は想定の範囲内
晴れてギンギンに暑くなるよりは、適度に雨の方が体力的には楽というのが、自分の経験である。
全体的には、20度前後の気温で、どちらかというと肌寒く走りやすい条件ではあったが、津軽半島からゴールの八戸までの区間の風にやっつけられた。
これが青森の「やませ」なのかと実感。
龍飛崎の西側は、この風がほとんど暴風クラスの勢いで吹き下ろし、つづら折りの坂道は危険過ぎて自転車降りた。

ハイライトは、あの風かと思う。スピードに乗るはずの区間で失速し、さらに夕方以降は雨降りというコンディション。
地図で見る以上に過酷なコースであった。

それでも、これを完走できたことの意味は、自分にとって大きい。
スタートして最初の200キロ区間で、スローパンク2度。2本の予備チューブを使い果たし(パッチはあるがスローパンクの穴を発見するのは水にぶっこまないと難しい)、原因が何かを探るとリムテープのズレだろうと推察し、粘着テープでリムテープの怪しい部分を補修。
結果的には、その補修が効果的で、ゴールできた。
ちなみに、CO2ボンベは2本携行していたが、2度めチューブ交換では、あえて7BERまであげずに5BER70psi。こんな低圧で長距離走ったことなかったが、4号線路肩の悲惨な舗装状態にも打ち勝って無事にフィニッシュできた。
いやこれは、奇跡的。

<スタートまで>

この週は、かなりハードなスケジュールになることが前の週に確定し、これは出走できないなと諦めていた。しかし、ギリギリまで判断を保留し、出れれば出るつもりで動いた。
週の前半は、名古屋での仕事を頼まれていて、2泊3日で片道7時間のクルマ出張。しかし、いろいろとモチベーションを上げる時間だった。


翌日(木曜)の仕事は、工期詰まってる某ホテルの改造工事。宿という事情から、作業時間が限定的で、この仕事が翌日に残ったのが痛かった。が、これが金曜日のお昼でなんとか片付いて、「これは高速飛ばせばギリギリ間に合う」と会津若松に移動して、福島県立博物館の館長講座第3回「イザベラ・バードの東北紀行」を聴講。タイトなスケジュールの中で、これは外せなかったし、ここでの話が、そのまま翌日から始まる東北の旅の心象風景のスパイスとなった。


古川駅前のホテルは、早々と予約済みだったが、ブルベのスタートまでの鉄道輪行移動というのは、たぶん10年ぶりで、最終的な準備にもたついた。
最寄りの安達駅で自転車分解パッキング、余裕こいていたら、予定していた電車の一本前が入線してきたので、文字通りこれに飛び乗った。こういう時に、シューズがMTB用だと走ることも可能で良い。


福島仙台間のやまびこは、自由席でも余裕だったが、仙台古川間は、全車指定席のはやぶさ。これが、デッキ乗車の客がものすごく多くて自転車の置き場に冷や汗。
仙台古川間というのは、新幹線だと15分ほどだが、在来線は、大きく海岸側に迂回する東北本線陸羽東線の乗り継ぎで1時間以上はかかり、それは普通に新幹線のデッキ乗車なんだろうと。福島から仙台乗換なしの古川停車盛岡行きはやぶさに乗車するのが、最善のパターン。これが、一日に何本あるのかは疑問だが。

そんなわけで、小雨ふる古川駅前に降り、輪行バッグ抱えたまま歩いていける「東北イン」にチェックイン。シャワー浴びて速攻で寝た。なにしろ、前日の睡眠時間を確保することが、完走のための第一歩なのである。

 

<頑張りすぎずに走る>

3時過ぎに起床して準備。雨は、止んでいるが、すぐにまた降り出しそうな気配。4時過ぎの駅前スタート地点に移動すると、すでに参加者が数名集まっていて、受付もオープンされていた。

天気は良くないが、30名くらいはいただろうか。

今回は、ガーミンのナビをエッジ130オンリーにした。まあ、これでいけるかなと。そして、コマ図はちゃんと準備した。

がしかし、ダブルサイコンの距離読み用が、なぜかセンサーを認識せず、動揺しつつのスタート。エッジ130は、ナビモードにしておくと距離が読めない。これが微妙につらい。

昨日、コンビニで準備できなかったので、スタート直後にコンビニによって朝食などの食糧確保。

古川から先、いつもの47号線で岩出山・池月。池月で右折して踏切渡った所で、前輪のスローパンクで「これは無理」状態。パンク修理。20分ロス。前輪のスローパンクは、前回の400キロでも一度経験して、だいたい200キロ走ると終わり。原因は、リムテープ側のどこか。

600キロに、大雑把に峠は3つ。その最初が国道398号の花山峠。栗駒山の西側をかすめて、秋田の湯沢に向かう。

<湯浜街道・花山峠・小安街道・稲庭>

浜街道、湯浜峠、花山峠のラインは、非常に美しい森林の中の路だった。小雨かどんよりした曇から、路面の乾いた曇という天候の中。
秋田側に抜け、子安街道となると、観光地感が強くなる。とりわけ印象に残ったのは、稲庭うどんの稲庭。10時すぎころだったが、回転しているうどん屋もちらほらで、ほんとに食べていきたい気分ではあったが、こらえて湯沢のPC1まで降りた。
PC1は学園祭やってる高校の前で、賑やかであった。雨はやんでいて、蒸し暑くなる直前。

<13号〜みずほの里ロード〜八幡平>

湯沢から国道13号線で、しばらくフラットかと思いきや、「みずほのさとロード」が、なかなかのアップダウンだった。福島の石川広域農道ほどではないが。しかし、13号線のような幹線国道よりは、こういうタイプの交通量少ない山間の路は好き。

田沢湖で、5月の花巻400でPCに使ったローソン到着。
PC2田沢湖生保内、15:30。9

雲行きが非常に悪く、しかし雨雲レーダー見ると微妙にずれていて、このあとも雨具なしで走る。この600キロで、一番の「山岳」エリア「八幡平」に入る。

国道341号線を登りだし、玉川ダムで午後5時。ここで雨具着用。「熊出没注意」で入山禁止のロープが張り巡らせるエリアの日没後は、気分の良いものではない。淡々と走るのみ。
アスピーテラインの分岐から先は、先日の花巻400で走ったばかりの路。けっこうな勢いで濡れたので、「道の駅かづの」に逃げ込んで、休憩。本格的に雨対策。
鹿角の道の駅からPC3の大館までは30キロ弱。ほとんど惰性で流す。道幅も広く、深夜のため交通量も少ないが、雨で濡れた路面と対向車のライトで路面状況がよく見えない。

<大館 弘前 五所川原 十三湖

PC3大館、22:10。小雨。PCでは、前後して3名くらいの参加者。

この先、大館市内を抜けて行くのが、「これが7号線か?」ってほどに「市道」的な道路で、ミスコースしてるのかと疑いつつ、まあ、だいたい方向合ってればいいか、みたいな感じで。
この先、20から25キロ先の道の駅やたてか、いかりがせきで仮眠しようと思っていたので、睡魔とたたかいつつ。

交通量の少ない国道7号線を県境の矢立峠に向けて上り。
高校生時代に東北一周で、この峠越えてから40年ぶりとなるか。当時の面影は、全く浮かび上がらないが。
峠の前の道の駅やたて峠に寄ると、仮眠スペースとして使えるベンチは少なく、参加者の1人が仮眠していたし、なにより、寒いのでここはパスし、峠を下って碇ヶ関まで行くことにした。

青森県境の道標見て、じわりと感動。写真撮影。自転車立てかけられず、寝かせたまま。23:46

碇ヶ関までおりて、道の駅で仮眠。3時にアラームかけて約2時間眠る予定だったが、2時過ぎにわりと賑やかな人たちが来て、そこで覚めてしまった。トイレ前のベンチにごろ寝なので、プライバシー的には、なんとも言えない。

寝る前に、濡れた衣類から乾いたものにすべて着替えてしまい、リスタートで再度濡れたものを着る気もなくバッグの中にしまい込む。

雨は上がっていて、2日目の天気は良さそうな夜明け前。
大鰐弘前IC前のファミリーマートでコーヒー。
このFM、2019年6月時点のストリートビューでは、サンクスの建物が見えるが、新しいFMは、コンセント付きイートインコーナー。が、ここで仮眠というわけにもいかないだろう。
場所的には美味しいところではある。

7号線のバイパスで弘前市内を抜ける。弘前城方面に寄り道したかったし、何か弘前とわかる写真もほしかったのだけど、素通り。

藤崎で国道339号(BP)に左折。いよいよ「龍飛」の文字が出てくる。路面は乾いていて天気もよく、気分は上昇。前後して4名くらいの参加者。距離おきつつ。
道の駅つるたの前のFM鶴田境店で朝食買い込み。
このファミマも、イートイン付。しかも、2018撮影のストリートビューでは確認できず、新しい店。青森は、ファミリーマートの新店舗が充実している。

岩木山が、山頂は見えないものの、いい感じに見えていて撮影。写真撮っているときに、後続の参加者に抜かれるパターン。

五所川原を通過し、「太宰治」の名前がボンボン出てくるようになる。個人的に、太宰は好きではない。というか、どうも日本の小説家が好きではない文学部出身者である。「小説」という世界が、「人生の暗さ」とつながるイメージが、高校生時代にできてしまい、なぜかロシア文学系。いや、ロシア文学はそれ以上に暗いだろうという話もあるが、内向き外向きという世界観の違いは、かなり違う。

津軽鉄道芦野公園駅のところで、すごいタイミングで1両の列車が入ってきたが、シャッターチャンスを逃した。駅舎だけ撮影。地図見ると、踏切で交差するのはここだけなので、ほんとうに惜しいチャンスを逃した。すぐ出せるカメラを携行する必要あるな。iPhoneだけにすべてを任せるのはいかん。

この先、十三湖。爆風の路。必ずしも向かい風でもなく、追い風だったりもしたが。

日本海沿いの道に出てほどなくして小泊。小さな漁村という表現で良いのか。通過チェックのファミリーマートに到着。
5名くらいの先着者がいたか。オーディナリーのK君もいた。
碇ヶ関で仮眠している間に抜かれたのか。600キロは寝ないで走るらしい。

のんびりしている間に、後続の人たちも続々と。
合わせると、10名以上。1時間以内で10名から15名くらいが走行している感じか。貯金2時間から1時間くらいの範囲。

<龍飛崎 津軽半島 >

小泊から龍泊ライン、次第に風が強くなってきて、眺瞰台に登る坂は、爆風過ぎて自転車に乗ることができなかった。西向きは、追い風になるのだけど。

登りきった眺瞰台のところは、竜飛岬ではなくて、そこからけっこうなダウンヒルのあとに岬に出る。高い場所から見える海に、気分上昇。

龍飛岬の歌碑の前には、先行者が3名。
自分も写真撮影してさっさと撤収。

なんとなく、ここを超えれば、あとは流してゴールという印象だったが、甘くはなかった。

海岸に降りてから、入江ごとにアップダウンを繰り返す。
自分は、ちょっと眠くなってきて、いい感じの堤防の上で30分ほど昼寝した。なんと、その間にオーディナリーのK君が通り過ぎた。

青森まで、飽きるほどに海を見ながらの走り。
東風が強く、気象条件の悪いことが当たり前のような海沿いの集落に住み続けていることを、リスペクトせざるを得ない感覚。人が、ある場所に住み続けることの意味は、それぞれなんだろうけど、住み続けられない理由というのは、住み続ける理由よりもたくさんありそうで、住み続けられない場所が廃墟と化すのは、誰も止めようがなく、やはり「撤退」の都市計画なり農村計画なりというのは、「あり」だと思うわけで。

<青森 野辺地 三沢 八戸FIN>

対岸の津軽半島を見ながら、南に下がっていく。
それまでの寂れた漁村感から、次第に市街地感が強くなっていく。
海沿いから一筋離れて、風が収まったように思えるが、ところどころにある、家と家の隙間から、やはり強い横風が吹き付ける。

次第に住宅密集地となり、風のことは忘れ、PC4のファミマ到着。506キロ、13:50 貯金は50分。
あと100キロ。なんとか時間内完走はできそうだ。

ほどなく青森市内の国道7号線。なんかテンションが上がる。
県庁前にある、7号と4号の境目を示す看板を見つけ、歩道に自転車乗り上げて写真撮影。

風の影響のない平坦モードで、踏む踏む。薄曇りに日が漏れる程度で、気象条件は悪くない。

県道259から再び国道4号に合流する坂の信号が、短くていやらしい。4号に入ると、いきなり殺人的な交通量とスピードになる。浅虫温泉通過し、夏泊半島へは行かずに、素直に4号線で小湊から太平洋沿岸に出る。4号線は、このあたりまで広い歩道があり、自転車も走れるレベルの舗装。車道側は、クルマの流れが早くて殺人的な高規格型。

海沿いになるころから、どんよりと暗くなり、小雨が吹き付けるようになった。雨具ほどでもなく、薄手のウインドブレーカーで対応。結局、この雨はゴールに向けてどんどんひどくなっていく。

最終通過チェックのローソン野辺地高校前。先行の到着者なし。クローズまで1時間。10分の間に続々と後続がピットインしてきた。

残り50キロ。小雨。日が落ちて、ナイトラン。
ナビの役目で使ってきたガーミンエッジ130は、よく働いている。ただし、ナビモードで距離表示を出す事ができず、別のサイコンを併用しているが、これ(ボントレガーNODE2)が途中でバグし、正確な距離が出ていない。

ブルベは、アナログ情報としてのキューシートあるいはコマ図があれば、あとは正確な距離を表示する距離計があれば、走れる。過度にデジタル機器に依存していると、バッテリー切れとか、何らかのバグとか、リスクは少なくはない。
自分の場合は、普段この他にeTrex系を併用しているが、今回は削っていた。とりあえず、130で「だいたいは」なんとかなる。

最後の50キロは、道路の先を見つめてひたすらペダル回す感じ。貯金1時間にしては、全走者もなく、後ろも見えない。

ラスト50キロが、このくらい平地だと助かる。

八戸のゴールは、市街地をイメージしていたが、実は市街地まではまだまだ距離のある郊外部のローソン八戸多賀台1丁目だった。

微妙な時間帯で、さっさとコンビニのレジに行き、ホットコーヒー一つを注文し、交通系ICで決済。蛇足ながら、コンビニで現金決済は、なしである。色んな意味で。

刻印19:58。 まあ、約20時。リミットは21時。このタイミングで自分ひとりだったが、5分以内に3名ゴールしたか。

どっちにしても、最終新幹線には間に合わなかったので、八戸駅前のホテルを予約。
30分で行けますと返事したが、40分かかったか。

コンフォートホテル八戸。
自転車は玄関入って風除室の中。
日曜日の夜にしては、けっこう混んできた。中華系の団体だろうか。程なくして、もうひとりのブルベ参加者がチェックインしてきた。

雨に濡れた装備の後始末に、なんだかんだと1時間以上を費やす。あれ、そういえば、あの日の夕食はなんだったのか。
レーションバッグに残っていた行動食ぐらいで終わったのか。バスタブにお湯を張って、身体を温めて速攻でベッドに横たわった。

FIN