楽山舎通信

わたじん8の日記です

令和3年 新春放談

(私のFacebookより。一部修正)

 

新春砲弾 いや「放談」だぜ。

あけましておめでとうございます。

友達つくらないフェイスブックから、ちょっと未来の自分に向けて、新年のご挨拶を申し上げます。

あ、コメントは受け付けません。放談です。

 

2020年に始まったパンデミック

世界中に広まった新型コロナ感染は、第3波のピークもいまだ見えず、もちろん出口も見えていない泥濘の中です。

とてもじゃないですが、「輝かしい年になりますように」なんてことを、正直モノの私は言えません。

一年後に、収入のある仕事があって、住む家があって、インターネットのWEBの中につながる権利(回線使用料を支払う力)があって、健康で、今と同じ暮らしが続いているだけで、もはや十分です。

それだけでも、贅沢な話です。輝かなくていいんです。

 

「輝かしい未来」

そんなものを期待してはいけません。

「輝かしい」ってなんですか?

 

2021年。

そもそも、暗黒と泥濘の中に埋没していく世界中のたくさんの人たちを前にして、私と私の周辺だけが輝くことが、「幸せ」といえるのでしょうか。たくさんの日陰、それも二度と光の当たらない日陰を作り出して、周囲だけが「輝く」ことは「幸せ」でしょうか。

2021年のはじめにあたって、今まで通りに凡庸に「輝かしい未来」などと口にするのは、人の不幸は蜜の味、人を踏みつけて幸せを求める。みたいな話です。

自分自信の時代認識と危機感のなさを露呈するようなもので、じゃあ、その「輝かしい未来」がどんなものかを説明してみせろよ、っていう、そういう時代です。今は。

 

およそ人類の一人ひとりが、本気を見せないと、もはや「未来」そのものを失う人が続々と出てくる。そういう時代の真っ只中にいると、私は感じます。

ここ最近の知見を総合すると、貧富の差が拡大し、いわゆる「中産階級」が解体しているというのは、正しい認識だと、私も思います。このパンデミックは、救いの手を差し伸べる人がいたとしても、貧富の差をさらに拡大していくことは避けられないという認識です。私も。

「自助 共助 公助」の政権は、今この時だけでもその順番を逆転させ、「公助」によって生活保障を実施すべき時でしょう。

 

今の私、あるいは私達は、これ以上の「成長」を求めない、「高原」(山口周)にいるのだろうかと考えると、どうも納得できない部分も少なくありません。

日本の中でも、社会的に「高原」と言われる部分にいる人も多いでしょうが、日本全体を「高原社会」と見立てるのは、やはり無理があるかと思います。

1970年代あるいは80年代にはなかったような、這い上がれない深い峡谷が、気がつくといくつもできてしまい、高原にいるつもりで、実はその這い上がれない淵に向けて歩いている人が、実に多いのじゃないかと、そう思うわけです。

いや、私もその一人でしょう。

なぜなら、零細自営業の私には、仕事ができなくなった時に、今のような暮らしを続ける保証は皆無で、早い話、国民年金を当てにしての「年金ぐらし」などという未来は、ゾッとするだけで、身体が効かなくなった時点で「コロリ」と逝けるシナリオを考えておきたいというのが、正直なところです。

「輝かしい未来」

それは追い求めてはいけない幻想です。

政治家あるいは地元自治体の首長が、本気で「輝かしい未来」というのであれば、まずは「ベーシックインカム」を導入し、市民の先の生活に対する不安を一掃し、山口周氏のいう「クリエイティブな仕事」を増やして、「生きる」ことの質をあげていくべきです。

話はそこからです。

「高度成長時代」の、光燦々の高原に向かう右肩上がりの「輝かしさ」みたいなものは幻想に過ぎず、そういった事実を無視して「輝かしい未来」なんて言葉を新年の挨拶に使っているのは、いわゆる「頭の中がお花畑」の類いなのでしょう。

社会のリーダーとしては、終わっています。

 

昨年、2020年の我が身と世界を取り巻く状況の変化の中で、さすがに私も目覚めました。

過去のアウトドア経験の中で、「ヤバそうになった時に入るスイッチ」というのが、たしかにあると実感していて、一般的にはそれを「火事場のクソ力」というわけですが、「超本気」モードというのがあります。

人間は、「超本気」になってからが面白いのです。

今までの人生の中で、一番「超本気」だったのは、高校3年の夏休み終わってから始めた受験勉強でした。間違いなく。

「絶対無理」を「やればできる」にするパワーが、「超本気モード」でした。

私は、17歳、あるいは23歳の頃の自分を日記と写真で振り返りながら、「超本気モード」へのスイッチを探っています。

がしかし、還暦目前の身体で「超本気モード」にスイッチ入れると、マジで死ぬかもしれません。

なるべく山では死なないようにします。