楽山舎通信

わたじん8の日記です

思い出ビデオ

告別式や通夜などの葬儀が始まる直前に、葬儀の会場で、故人の写真などを編集してスライドショーにしたものを流すことがある。

葬儀の開始前に、3分から5分くらいのスライドショーがあるかないかでは、故人の印象に大きな差が出る。特に、お会いしたことのない方の場合は、その短いスライドで「こんなお母さんだったんだ」と、初めて知ることもあり、それが故人に対する唯一無二の思い出となる。

私の母親の場合は、7月末から、もう残りの生命が長くはないことがわかっていたので、早めに写真の整理をしていた。

スライドショーは、葬儀屋さんに写真のデータを渡すと、それなりに編集したものを作ってもらえるが(有料)、パソコン使ってスライドショーからビデオが作れるならば、自分たちで編集して音楽をつけたものを作ったほうが良い。

ただ、死去からお通夜までの時間が限定的で、その中で、ほとんどはプリントされた写真をパソコンに取り込んで編集し、BGM付けてスライドショーにするというのは、普段から慣れていないと、なかなかにめんどくさい。

2016年に父親が死んだ時には、会場いっぱいの会葬者で、誰が見ても大丈夫なものという条件があったが、今年の場合は、新型コロナの影響で、会葬者は近親者のみなので、条件はかなり違った。このBGMに、著作権のある音楽をつけるのは、法的にはどうなのか知らないが、妹が選んできたBGMは、「エール」だった。NHK朝ドラの主題歌である。

お葬式で、「エール」のような音楽を流すのは、たぶんけっこう異色だ。ただ、「いかにも」な感じで、悲壮感を演出したり、わざわざ悲しみの音楽にしたりして沈み込んでいくのは、なんだか違う気がしていたので、エールのような元気の良い音楽がスライドショーのBGMでも、違和感はまったくなかった。

ほとんど近親者のみしか見ていないスライドショーだからこそ、「普通」とはかけ離れた音楽が流せたが、これが一般会葬者の多い普通の葬儀だったら、「非常識」という誹りも少なくなかったかもしれない。

死の瞬間までを、共に乗り越えてきた家族にしかわからない微妙なニュアンスというものがあり、ぶっちゃけた話、葬式だから「泣きゃあ良い」ってわけでもない。個人的には、まったくもって「泣く」モードに入らなかった。

みぞおち辺りが締め付けられて、不意に涙が出てくるのは、もうちょっと違うシーンなのである。そしてそれは、本人にしかわからないことばかり。些細な思い出の中に、生きていたことの証しを見つけると、昔は気づかなかったやさしさを感じたりして、あるいは、息子としてそれに反発する自分を思い出したりして、泣けてくるのである。