楽山舎通信

わたじん8の日記です

10月30日土曜日 晴れ 父の命日

毎日、115号土湯道路越えで会津若松に通っている。

この道路で一番紅葉の美しいあたり、箕輪スキー場付近からの標高の高い部分になるが、カラマツの紅葉が最高潮となり、これ以上無いくらいに美しい風景となっていて、通勤が楽しい。

と、そんな10月30日は、2016年に亡くなった父の命日である。

母親の死で、母のことばかり想っていたかというと、実はそうでもなくて、母親が捨てられずにおいていた父親の遺品を目にすると、なんとも優しい性格のひとだったなあと、あらためて思い出すのである。

父は、あまり身体が丈夫な方でもなく、人前で話をすることも苦手だったし、8人兄弟の長男にしては、リーダーシップも強くないけど、温厚な性格というだけで、なんとなく場をまとめてきた。

床屋として、ずっと家にいて仕事をしているので、趣味は盆栽とか掛け軸とか瀬戸物とか、家にいて楽しむものばかりだった。

そのあたりは、私とはまるで正反対で、私はそれらの古物にまったく関心がなかった。

ところが、捨てずにとってあった遺品の数々を、関心がないからといって捨てられるかというと、捨てられない。「モノ」と同時にあったであろう、父の気持ちが見えてくると、やはり簡単には捨てきれないし、死んで5年も経ってから、「そうだったのか」と気づくこともある。

父は、私が自営業の大工職人であることに反対していて、まあ、名の知れた大学出してやったんだから、もうちょっと体裁の良い仕事をしろ、という感じだったが、「職人」というのは、それほど悪い仕事ではない。

ただ、経済的な面においては、大工や木工の職人というのは、老後があまり幸せな暮らしにならないことが多く、結局は、そこがポイントだったのかと思う。

生涯現役、はいいけれど、80歳くらいまでは生きると考えると、80で大工仕事をしているというのは考えにくい。この時代では、無理だろう。と考えると、そろそろ真面目に、死ぬまでできそうな仕事に転職を考えるべきか。頭脳労働でもないが、頭を使ってクリエイティブな成果を生み出し、それで食えるような仕事が良いか。本気で転職考えるか。大工とは違うクリエイティブな、あるいはもっと人のためになる仕事が10年できるだけでも、父は喜んでくれるにちがいない。