楽山舎通信

わたじん8の日記です

二本松市政の課題を確かめる

前回ブログ記事、「市議会議員選挙についての覚書」の続きになる。

選挙において肝心なのは、それぞれの候補が持つ思想信条であり、政策である。しかし、市議会議員選挙のようなものにおいては、国政選挙と違って「争点」のようなものは見えてこない。というか、存在もしない。

そもそも、政党無所属議員が大半を占める市議会にあって、「与党」と「野党」を明確に区別することは難しいからだ。いわゆる「保守」「革新」という、政治における対立軸の構図に当てはめると、現在の二本松市長は「革新系」という認識で間違いなく、市議会議員の会派的には、無所属でありながらも、自民や公明の保守系が多数を占めると、私は解釈している。ちなみに、公認では共産党の3名が最大である。

国政の状況を見ると、どう考えても「民主党政権」のような時代は来ないので、自民党と結びつきのある首長のほうが、政策は円滑に実施出来ていきそうな印象が強い。ただ、過去の例を思い出すと、保守であるか革新であるかという区別ほどには、その実際の影響力は強くはなさそうである。首長本人の資質と行動力のほうが、「保守系としてのパイプ」よりも、大きな影響力を持つ。

このことは、内堀雅雄の福島県政の盤石さを見れば、わかりやすいと思う。野党のない議会というのは、ある意味で「全体主義国家」のようで、私としては気持ち悪いのだが。いや、ほんとに気持ち悪い。本来あるべき「多様性」を、自ら放棄して、思考停止に陥っている。

ところで、福島民友新聞に連載されていた、候補者へのアンケート結果から、「候補者の考える市政最大の課題」を導き出すと、それは断トツで「少子化対策」ということになる。

二本松市に若い世代をつなぎとめて、子育てできる環境を充実させ、市外からの移住を促進させていく、ということである。

「人口減少対策」というのは、地方自治体の政策における、最重要課題である。

「市政」というものは、基本的には議員が変わっても粛々と「総合計画」に則って進められるものであり、各候補者が「〇〇します」と熱弁するほどには、議員一人の影響力は大きくはない。これが現実である。あまり大風呂敷を広げすぎても、大言壮語で口先番長の烙印が押されるだけである。

基本的なところは、長期、中長期の「総合計画」で全て考えられていて、市議会議員が、実際にその中身をどこまで理解しているのか、いないのかということが、短いアンケート調査の中からも見えてくる。

総合計画の中では、人口を53,000人で維持できるようにする、とあるのだけど、もちろん、そう努力することは努力したとして、人口減少問題は、地球温暖化あるいは気候変動問題と同じように、「目標に届かない場合」の未来を見据える、「別の道」も用意しておく必要があると、私は思っている。「エスケープルート」のようなものである。

ただし、これを最初から示してしまうと、逃げ道を当てにしたモチベーションの低下が起きるので、逃げ道は、本当に必要な場合が来た時にだけ、公に示せれば良い。困窮して、明日からのご飯もない、という時に、「実はへそくりがある」みたいな感じで、奥の手として出してくるカードが必要だということだ。

ここで、ちょっとあることに気が付き、一気に話が飛ぶ。

私は、日本の電源として、原子力発電を可能な限り復活すべきだと考えている。原発推進派に変わった。

風力や太陽光発電で日本の電源を自給することには無理がある。立地の問題も大きく、イケイケドンドンで風力発電ソーラーパネルを増やし続けると、必ずとんでもない問題にぶち当たる。

化石燃料を使い続けることの問題が、気候的、あるいは地政学的に、これほど大きくなって認識されたこの時代にあって、さらにはロシアの悪政のもたらす国際情勢の不安定化にあって、いい子ぶって「原発反対」を訴えることは、もはや「先の世代の救える命さえも犠牲にする」ことを意味する。

こんなことを考えるようになったのは、ロシアのウクライナ侵攻という、2022年2月24日以降のことなのだが、そこから3ヶ月ほどの時代認識の中で、ウクライナ侵攻前と同じこと、たとえば「原発反対」のようなことを、同じように叫んでいるのは、私には「思考停止」以外の何にも見えない。事実、「私の正義」のようなものにしか頭が動かない人たちは、「思考停止」と断定して良い。「私」は変わらなくても、世界は激変している。

時代を取り巻く情勢が、これほど激変する時代にあって、様々な事柄に関して、一定して「反対」しか唱えられないのは、もはや「革新」などではなく、「超保守主義」と断定して間違いない。その意味で、日本の政治における「保守」と「革新」という区別は実際には逆であり、ある意味で、昔にこだわる共産党こそが、超保守的である。

有田芳生が、毎日新聞の「共産党100年」の記事の中で、党の体質を痛烈に批判していたが、この国を本当に良くしていこうと思うならば、日本共産党は、もっとまともな「革新」の組織に変わるべきである。と、私も思うのである。来たるべく国政選挙で、手痛い「国民の声」を聞くことになるだろう。

脱線した。いや、二本松の市議に、3人も共産党公認候補がいるということと、これは無縁ではない。武器を持たずに国を守ることなどできない、ということは、もはや世界の常識であり、様々な全体主義国家が、日本の隣りで「その日」の準備をしているのである。これが現実だ。世界は甘くない。

やばい。寄り道しているうちに時間切れになった。

(続く)