楽山舎通信

わたじん8の日記です

統一教会あるいは新興宗教

2022年7月8日の、安倍元首相の殺害事件の犯行動機に、「統一教会」への恨みというのが出てきて、「統一教会」が、「世界平和統一家庭連合」と名前を変えながら、今でもそれなりの社会的影響力を持って続いていることに、少なからず驚いた。

しかも、福島の地元にも、支部が存在しているらしい。

統一教会といえば、「霊感商法」である。

実に懐かしい響きの言葉で、まさかこの言葉を令和の時代に再び耳にするとは思わなかった。今も続いているのか? 信じられない。

結局は、政治家の影響力がマスコミ等に響いて、団体の運動を阻止できない土壌が出来上がっていたのだろうか。

実は、学生時代にいくつかの新興宗教に関心を持ち、入門的な話を聞きに行ったことがあり、「統一教会」とは知らずにビデオを見に行ったことがある。ビルのワンフロアに集まった人に、まとめてビデオを見せるのではなくて、パーテーションで仕切られたスペースで、一人ひとりに見せていくという、他の団体にはない金のかかったしかけだった。私はそれを見ていて、これは統一教会だとわかり、その後何度もアパートを訪ねてくる勧誘員を強烈にお断りして、それ以後関わることはなかった。

仏教系・神道系・キリスト教系と、それぞれに雰囲気を見に行ったが、今にして思えば、それぞれの組織に集まる人達の特性というか、この集団にいるとこんな感じになるのかというのがなんとなくわかり、宗教哲学に深い関心を持っていた私には、貴重な体験になった。統一教会は、信者というよりも、保険の外交員みたいな印象だった。

そもそも、学生時代に住んでいたアパートには、様々な組織の勧誘員が訪れてきていて、私は、好奇心が優先して、断らずに話を聞いてしまうことが多かった。世紀末に向かうなかで、米ソの対立が深まり、ハルマゲドンといった終末論が新興宗教の入り口にもなっていた。

統一教会は、「原理研」のほうがたぶん学生には馴染みが深く、それは近寄ってはいけない集団であるとはわかっていたが、最初の入り口には「原理研」あるいは「統一教会」という名称はないのである。あの当時の入り口の名称が、なんだったかを思い出せないし、私にとっては思い出したくもない歴史だったりして、当然何も残っていないので、手がかりもないし検索する気もない。

年代で言えば、1983年から1985年までのことなのだが、この時期、あることから、まじめに「ソ連が攻めてくる」という話を信じていて、私の中でも「共産主義」国家や思想は、自由を奪う恐ろしいものでしかなかった。

反共という位置づけでは、統一教会よりももっと過激だと思う組織があり、これまた正式な名称を伏せて公共施設の会議室を借り、「勉強会」をしていたのだが、こちらはモノを売って資金を集める、ということがなく、ひたすら「天上界」の話やユートピア思想的な雰囲気で、独特な雰囲気があった。

統一教会のような巨大組織は、どんどん会員を増やして資金力を持ち、最終的に政治にも影響力を持ち、集めたエネルギーを外に向かわせていたが、カルトには「外向き」と「内向き」があって、小規模なカルトは、閉鎖的な集団形成によって、「選民意識」を強め、世界滅亡の時にも、自分たちだけは救われる、みたいなことを、本気で信じていくようだった。

学生時代、東洋哲学よりは西洋哲学への興味が深いと、宗教的には、当然「キリスト教」への関心が深くなる。その上、当時はバロック音楽への関心が強まり、それもあって「キリスト教」という宗教が、仏教や神道よりも格上な気がしていた。というか、キリスト教の社会に対する接点の多さと「救済」のパワーの大きさを見ても、仏教が扱うのは死後の世界であって、現世の人心に対する救済力の弱さが感じられて、仏教には全く魅力を感じられなかった。

かといって、キリスト教に改宗するかというと、そんなことはなく、イエス・キリストに対する信仰心は、皆無なのである。キリスト教への関心は、ある意味で、単なる教養の一つでしかない。様々な知識を自分の中で再編集し、結局のところは、「自然の中に神が在る」あるいは「自分自身の中に神が在る」という、価値観を強めていく。宗教というよりも、哲学である。

では、私は無神論なのかというと、どうもそうではなさそうだ。

結局、長年の経験からすると、仏様というか、ご先祖様が守ってくれていると思うところはあるし、毎日神棚と仏壇に感謝の祈りを捧げていることから考えても、目に見えない、なんらかの魂の存在を意識し、その魂に対して、祈りを捧げるという、非常に原始的な意味での宗教心を持っているということだ。そして、私は群れることがすきではないので、組織に入ることを良しとしないという、それだけのことだ。