楽山舎通信

わたじん8の日記です

さよなら電子掲示板あるいはBBS

2022年8月1日に、とある電子掲示板システムがサービスを終了し、約20年ほど続いていた中学校同級会のサイトが消えていった。

私がパソコンを購入し、インターネット通信を利用しだしたのは、1996年のことで、通信量が従量制で、おまけに電話代もかかっていた当時の主な用途は、電子掲示板とメール、メーリングリストによる情報収集・交換だった。

最初に使っていたのは、ニフティフォーラムの会議室だった。のちに「2ちゃんねる」という掲示板が登場するが、ニフティフォーラムは2ちゃんと違い、きわめて紳士的な電子掲示板だったと言っても良い。

不特定多数のインターネットユーザーが、自由に意見交換できる場があるというのは、実に画期的な事件であった。インターネット社会以前においては、社会の情報はマスメディアがプラットフォームとなり、そこで選別が行われて一部の情報だけが拡散される社会だったが、インターネット社会は、ある意味でマスコミによる情報独占をひっくり返すこととなった。

全く見ず知らずの人と、ネット上で交流できる仕組み、そこで情報を交換し、議論を成熟させる仕組みというのは、良くも悪くも人間の文明に影響を与え、今も社会の方向性に影響力をもつ存在になっているのである。

電子掲示板という仕組みが栄えた時代は、西暦で言えば2000年前後から10年ほどだろうか。

当時、二本松市のような地方自治体にも電子掲示板があり、福島県の公式ホームページにもあり、2001年に開催された「うつくしま未来博」の準備段階においても掲示板が存在していた。

当時を振り返ると、それはまさに「まぼろし」としか思えない。

インターネットが支える情報の双方向性の頂点とも言える場所に電子掲示板があり、良くも悪くも新しい社会をリードしてきたのであった。

しかし、行政のサイトにおかれた電子掲示板は、実に短命で終了していく。

ある意味で、あの時代の電子掲示板は、壮大な社会実験であった。自由に書き込ませていると、必ずしも紳士的なユーザーばかりでもなく、深夜の書き込みなどで削除が追いつかない事態となり、そのうち承認制となり、投稿する際の匿名性もなくなり「どこの誰」がわかる登録制となり、結局誰も使わなくなって消滅していった。

ユーザー同士が、WEB上で自由に意見交換、議論を進められる良識的な電子掲示板は、期間でいえば5年ほどでの壮大な社会実験と、2006年以降にはじまるツイッターなどのSNSの隆盛により、役目を終えていくのであった。メーリングリストも、同じように終了していく。

「2ちゃん」、あるいは「5ちゃん」がどうなのかを、私は知らないが、ネットユーザーのプラットフォームが、フェイスブック、インスタグラム、ツイッターなどのSNSにあるという認識で、たぶん間違いない。

電子掲示板での使い方に最も近いのは、ツイッターにおける「#」ハッシュタグ付けの投稿ではないかと思う。ただ、SNSの性格上、リアルタイムで動いているテーマに対しては一気に拡散して注目を集めるが、目立たないテーマをじっくりと議論することには向かない。

「目立たないテーマをじっくりと」あるいは、ごく少数の不特定の参加者がじっくりと深く議論する、というプラットフォームは、何かあるのだろうか。

というか、自分のテーマは自分のブログやノートなどで表明して、そこのコメントで発展させるのがベストなのだろうか。

そういえば、登山関連でヤマレコを利用していて、掲示板的な部分でちょっと叩かれてそれ以来ヤマレコは見なくなった。叩かれるとか炎上するというのは、長いネット人生の中で何度か経験しているので、「ああ、こういう反応もあるのか」ぐらいで、特に落ち込むこともないのだが、逆の意味で、もしかすると多くの人の気持ちを傷つけてきた可能性もなくはない。口下手だけど、文字で表現するのは遅くはなく、思ったことを一気に書いてしまう傾向があり、「ああ、やっちまった」を数え上げるときりがない。