楽山舎通信

わたじん8の日記です

竹筒と生花

盂蘭盆、お盆である。

当家は、初盆となる。母の命日は、令和3年(2021年)8月14日である。命日にお盆が来る。母親の父、私の母方の祖父の命日は、8月16日である。ちなみに、母は8月生まれ、私も8月生まれ、当家の血筋には8月生まれが多い。

お盆の前に、一回忌は済ませた。この時期のお墓は、炎天下で生花がすぐに傷む。水も、毎日補充に行かないと、干上がってしまう。

墓前に手向ける花を刺すのに、プラスチック製の緑の筒が一般的になり、竹製の筒は見なくなった。といっても、当家では、毎年竹製の筒を目にする。竹の花筒は、一回切りで捨てることになる。本来は、プラスチック製の花筒も、使い回しをせずに、一回使って廃棄すべきなのだろうが、きれいで名前の書いていない筒は、使い回しをする。

あまり良いことには思われないが、環境意識の高まっている時代に、花筒を一度使って廃棄というのは、ちょっと躊躇するのだが、おそらく、環境的にベストなのは、増えすぎて困る竹を切って、花筒として利用し、廃棄するという方法なのかと思う。

しかし、よほどのこだわりがあるか、自家所有の竹林から、必要な竹を切ってきて、自分で加工することが苦ではない人だけが、竹の花筒を使うのかと思う。

お盆で墓地を回ると、ずいぶんとプラスチック製の造花が目立つようになってきた。ホームセンターで、生花よりも目につく感じでたくさん売られているので、管理の楽なプラスチックの造花を買う人は、増えているのかもしれない。

当家は、ポリシーとしてプラスチックの造花を使うことはありえない。

生花と、プラスチックの造花は、物体として全く別のものであり、花に見えれば良いという感覚に、少なくとも私はならないし、お墓の中の誰一人として、プラスチックの造花を喜ぶ先祖はいないと思われる。

この時期なので、生花を1週間持たせれば、それで良しとする。墓参した時に、献花できればそれで気持ち的には整理が付き、1週間後に誰かがお墓に来た時に、全く鮮度が落ちずにきれいに咲いていることは、求めていない。といいつつも、今年の場合は、ここから最低でも1週間は、きれいな花だけが咲いているように、毎日お墓に行くのである。