楽山舎通信

わたじん8の日記です

2022年10月16日(日)150年60年40年〜その2

大学ワンゲルの還暦同期会の翌日の日記である。

この日は、新宿御苑の脇を歩きながら国立競技場を通り、神宮外苑から青山墓地のあたりを抜けて国立新美術館にて李禹煥展鑑賞。そこから地下鉄使って江東区東京都現代美術館に移動し、最終日のジャン・プルーヴェ展鑑賞。

そこから東京駅八重洲口の八重洲ブックセンター徘徊。そしてこの日のメインプログラムは、東京国際フォーラムホールAの「原田知世40周年記念コンサート」であった。

朝、8時過ぎに歩きだしてすぐに、マラソン大会による交通規制を知り、ほどなく大量のマラソンランナーが通過するのを見る。東京マラソンは時期的に違い、何? と思ったら、レガシーハーフとかいう大会で、国立競技場発着のイベントだった。私が見たのは、後ろの方のランナーの列で、正直、このレベルの市民ランナーでエントリーできるのかと、驚いた。これなら私でも走れそうだ。いやほんと。回収車の大型バスが徐行しながら2台ついていく。ものすごく金のかかったイベントであると実感。

国立競技場を見たことがなかったので、軽く見学と思っていたが、マラソンイベント中で、多くの人で混雑していた。ある意味、貴重な場に居合わせたということにもなる。

外苑から青山のあたりは、なんとなく好きで、歩いていても気持ちが良い。道路沿いの建物見るだけでも楽しい。昨日歩いていた目白台あたりとは全く規模の違う緑地が背景にあり、ちょっと目をそらすと背景の緑が目に入る。おしゃれなビル群と、背景としての広大な緑地のバランスが、ある意味で東京という国際都市の良さを表している。緑地潰してすべてを人間の居住空間にしてしまうと、やはり「息が詰まる」。森や緑地(手入れの施された芝生)は都市にとって重要な要素である。

東京に来ると、割と頻繁に訪れる国立新美術館にて、李禹煥(リ・ウファン)の回顧展。「もの派」の代表的作家とされていて、日曜美術館で紹介されていたので見るには見たが、正直に言えば、テレビを見た段階で惹かれるものはなかった。しかし、会期中の美術展からリストアップして行くと、「まあ、見ておくか」ぐらいの軽い気持ちで鑑賞した。ぶっちゃけ、意味不明ではある。ただし、現代美術の作品は、その時の自分が全く理解できない作品であっても、見た記憶があるかないかの違いは大きくて、ある日突然、時を経て何かと結びつくということはある。意味不明でも、記憶に強く残る作品というのは、それが「美」であるか否かは別として、圧倒的に訴えるパワーを持っているのである。例えば自分が表現者の側に立つ時に、その圧倒的な表現ができるのかというと、凡人には無理なわけで、「才能」とは何かという話につながる。

ただ石を置いただけ、ガラスの上に石を落として割っただけ、ただ木材を立て掛けただけ。ひとつひとつの作品は、そんな感じの「つくらない」シンプルな展示だ。まあ、このくらいならオレにもできると思ってしまうが、そうじゃない。表現の奥底に、自らの哲学を持っているかいないかで、同じように石を置いても、「なんか違う」という差異が生まれる。表現手法が至ってシンプルであればあるほど、自分の中に構築している哲学の世界の深さが、重要なのだろうな。

次は、東京都現代美術館に移動して、ジャン・プルーヴェ展の最終日に潜り込む。予約なしで大丈夫だったが、混雑していた。

「椅子から建築まで」。椅子は、見るものじゃなくて座るものなので、座ってこそその真価がわかるという気はするが、さすがにそれは無理な注文で、そのデザインをみるだけで、「いいなあ」とか「だめだなあ」という判断をしていくことになる。しかし、見た目と機能は必ずしも一致しないので、あまり注目されないデザインの方が座り心地が良かったりすることもある。デザイン的にこりすぎた椅子は、たいてい居心地が悪い。そういう意味では、工業製品としてのプルーヴェの椅子は、見た目よりも機能性重視という側面が強いかもしれない。鉄やアルミで木材(集成材)を抑えるという手法は、大量生産に向いていて、だからこそ万人向けのデザインが好まれるという話になる。一点物のオブジェではないわけで。

展示を見ていて思うのは、鉄やアルミの特性を、実に深く研究しているということだった。軽さと強さという、相反する条件の中で、どこがベストなデザインかということを、構造的に探り出し、そこからアレンジを続けていく。プレハブ建築の実物大展示を見ていても、「軽さ」と「丈夫さ」を求めるための工夫がたくさん見えた。

美術展は2つでお腹いっぱいで、次は久々に八重洲ブックセンターへ。

来春で閉店が決まった八重洲ブックセンター。様々な専門書を含めて、リアルに大量の本を見るというのは、やはりネット検索とは全く違う発見がある。私は、文芸書には全く関心がなくて、人文系から自然科学系あたりを徘徊。重くなるので、結局何も買わずに出てきてしまったが。

そこからブラブラと国際フォーラムに移動し、外のベンチで4時の開場待ち。ホールAの入り口は、3つか4つあって、メインゲートに並んでいないといけなかったということは後で知るが、座席指定だし、並んでいる必要はないだろうとも思うのだが。結果的に、入場する観客のウォッチングをしてしまったが、いやマジで、自分ぐらいのおっさんおばさんがメインと思われるほどに、中高年が多かった。原田知世40年。そりゃそうか。

エントランスに、お祝いの生花が並んでいて、iPhoneの録画でこれを記録したが、原田知世の40周年記念にしては、ずいぶんと少ないな、というのが第一印象だった。テレビやラジオの番組からのものが多く、ミュージシャン個人からのものはアルバム制作に関連した2組だけだった。まあ、エントランスにお祝いの花が大量に飾られるようなコンサートには行ったことがないので比較もできないが。

東京国際フォーラムホールA。とにかくデカい。5000席。クラシックコンサートのホールは、2000席ぐらいが規模的には大規模という感じなので、空間として大きすぎてどうなんだろうとは思ったが、前回この場所に来た時はハラミちゃんが2セットで公演していて、イマドキのユーチューバー?は、名の知れたミュージシャンよりも集客力あるのかと驚いたが。

さて、開演。私が座っていた2階の17列は、3割ぐらいしか埋まっていない。自分で席を選べなかったので、どういう配置で決まるのかわからないが、チケット販売会社の持ち分で決まっているとすると、けっこうなバラ付き感になる。チケット販売期間終了後に発券の仕組みだと、チケット販売数に合わせて、適当に散らばるようなアルゴリズムで決めていくのだろうか。5000席に4000人という発表だったが、たしかにそのくらいは入っていたように思う。割と後ろの方にもたくさん座っているのは、ステージから見た時のボリューム感を重視しているようにも思えた。客からすると、前が空いてるなら少しでも前の席にと、思わなくもないが。後ろからだと、ステージに人がいる、くらいにしか見えないので。

スタートは、「A面で恋をして」。で、私の第一印象は「音が潰れている」だった。

ずーっと、生音のオーケストラのコンサートを聞いてきたせいで、マイクで拾って大きな複数のスピーカーからまとめて出す音は、やっぱりそう聞こえてしまうのかというのが、正直な感想でもあった。もちろん、私の聴覚は老化していて、「耳が悪い」と言われるとそれまでだが、楽器の一つ一つからダイレクトに聞こえるクラシックオーケストラの音と、楽器の音を一度電気的に集合させて、波長による修正を行って出してくる音では、違って当たり前ということもできるが、「小さな生音に耳を澄ます」という感覚はない。

歌手として、必ずしも歌唱力が高いというわけではないが、じゃあ、原田知世の歌の良さはなんなんだと言われると、「気持ち」がふわっとした空気の中に包まれながら放出されてくる感じのところ、とでも言えるだろうか。上手いわけじゃないけれども、天性の表現力、あるいは唯一無二の彼女にしかできない表現というのがあって、「癒やし系」と言ってしまうと単純すぎるが、「少女」の感性を持ちながら、実は50歳代、みたいな感覚。

正直、最初の方は、拍手にもそんなに力入れてなかったが、結局最後の方は、クラシックコンサートに対する「惜しみない拍手」みたいな、力強い盛大な拍手になり、アンコール2曲めの「時をかける少女」では、ステージ上で感極まって涙につまり歌えなくなる彼女の姿にもらい泣きしてしまった。

最後の最後だけ、観客の携帯電話のライト機能を点灯させて、ステージ上に向けるという演出がステージ両サイドのモニターから要求され、この演出が原田知世にはサプライズだったのだろうか。

40年。私にとっては20歳からの40年という年月を振り返る時間でもあった。

私は、このコンサート情報をたまたま国際フォーラムに散歩に来て知ったのだが、決めては「伊藤ゴロー」だった。ギター・伊藤ゴロー。ピアノ・佐藤浩一。ベース・鳥越啓介。ジャズシーンで良くお名前を拝見するミュージシャンが、バックを押さえる。そこにストリングカルテットが入ってくると、伊藤ゴローのボサノバ系の音楽がイメージされたのだけれど、実際は完全にポップス寄りだった。

私としては、もっとボサノバ的な、ちょっと音を抑えた感じの原田知世の歌世界を聞いてみたい気がする。

国立新美術館

東京レガシーハーフマラソン

国立競技場

李禹煥

東京都現代美術館

原田知世40周年記念コンサート