楽山舎通信

わたじん8の日記です

11月21日(日)晴れ 亡き母の百箇日

11月21日の日曜日は、今年、令和3年8月14日に亡くなった母親の百箇日だった。

そしてこの日は、2年ぶりのふくしま駅伝だった。

ちなみに、先週の日曜日11月14日は、月命日で、2年ぶりに町内の太鼓台引廻しが行われたのであった。新型コロナウィルスの感染は、全国的に沈静化し、社会が徐々に通常に戻りつつある秋の終わりである。すでに、年末年始開けに来るであろう第6波の警戒モードになってもいるが、ある意味で、人類はこのパンデミックの出口を見つけたような世界ではある。

百箇日は、兄弟姉妹3人と都合のついた孫およびひ孫で、こじんまりと催した。

この日は、お寺さんに先約が2つあり、なんとか午前10時という早い時間で法要していただいた。百箇日は、観世音菩薩のもとで故人が審判を受けるとされている。馴染みの深い観音様である。次の法要が一周忌となる。

副住職には、忙しい中、お墓まで来ていただいた。恐縮である。

そして、自宅に戻ってささやかな「おとき」、会食なのだが、ちょうどこのお昼の時間が、ふくしま駅伝の通過時間と重なった。沿道には、ポツポツと人が集まりだし、ランナーが来る頃にはマスクをつけた観戦者で竹根通りがほぼ一杯になった。

と、この時間に、出前予約していたお寿司が届けられる段取りだったが、この時間に我が家の前にクルマ入れるのは困難なので、取りに行った。うっかりそのまま出前が来ていれば、わりと町内じゅうに知れ渡る出前騒ぎになった可能性もある。ひっそりと回避できてよかった。

さすがに百箇日にもなると、思い出し話で笑えるようにもなって、精神的にどん底の状態をゼロとすれば、50%ぐらいまでは回復できてきた気がする。

 

 

 

10月30日土曜日 晴れ 父の命日

毎日、115号土湯道路越えで会津若松に通っている。

この道路で一番紅葉の美しいあたり、箕輪スキー場付近からの標高の高い部分になるが、カラマツの紅葉が最高潮となり、これ以上無いくらいに美しい風景となっていて、通勤が楽しい。

と、そんな10月30日は、2016年に亡くなった父の命日である。

母親の死で、母のことばかり想っていたかというと、実はそうでもなくて、母親が捨てられずにおいていた父親の遺品を目にすると、なんとも優しい性格のひとだったなあと、あらためて思い出すのである。

父は、あまり身体が丈夫な方でもなく、人前で話をすることも苦手だったし、8人兄弟の長男にしては、リーダーシップも強くないけど、温厚な性格というだけで、なんとなく場をまとめてきた。

床屋として、ずっと家にいて仕事をしているので、趣味は盆栽とか掛け軸とか瀬戸物とか、家にいて楽しむものばかりだった。

そのあたりは、私とはまるで正反対で、私はそれらの古物にまったく関心がなかった。

ところが、捨てずにとってあった遺品の数々を、関心がないからといって捨てられるかというと、捨てられない。「モノ」と同時にあったであろう、父の気持ちが見えてくると、やはり簡単には捨てきれないし、死んで5年も経ってから、「そうだったのか」と気づくこともある。

父は、私が自営業の大工職人であることに反対していて、まあ、名の知れた大学出してやったんだから、もうちょっと体裁の良い仕事をしろ、という感じだったが、「職人」というのは、それほど悪い仕事ではない。

ただ、経済的な面においては、大工や木工の職人というのは、老後があまり幸せな暮らしにならないことが多く、結局は、そこがポイントだったのかと思う。

生涯現役、はいいけれど、80歳くらいまでは生きると考えると、80で大工仕事をしているというのは考えにくい。この時代では、無理だろう。と考えると、そろそろ真面目に、死ぬまでできそうな仕事に転職を考えるべきか。頭脳労働でもないが、頭を使ってクリエイティブな成果を生み出し、それで食えるような仕事が良いか。本気で転職考えるか。大工とは違うクリエイティブな、あるいはもっと人のためになる仕事が10年できるだけでも、父は喜んでくれるにちがいない。

 

令和3年衆議院議員選挙

今度の日曜日、10月31日が投票日で、第49回衆議院議員選挙である。

20歳で投票権を持ってから、15回目の衆議院議員選挙となる。

ウィキペディアのページを見ながら、大雑把に振り返ると、最初の選挙は1983年で中曽根政権。大学3年生であった。どうも、この選挙の記憶が無く、あるいは棄権していたかもしれない。住民票は東京に移していたので、投票に行っているとすれば文京区のどこかで投票したはずだが、記憶の手がかりすらない。

ちなみに、我が家はバリバリの自由民主党党員の家柄で、かなり積極的に選挙に関わっていた。

自民党社会党公明党共産党、という政党がそれぞれ安定して党基盤を持っていた時代、田舎社会の自営業者という立場だと、自民党を推すというのは、ごく自然なことである。非自民は、ありえない選択だった、と言ってよい。

「リベラル」というのは、政治信条がどうこうという以前に、労働組合を組織できるような会社員とか公務員などが、組織として選択するのが社会党あるいは共産党というのが、一般的な傾向だったかと思う。

長い間、自民党公明党による連立政権が倒れるなどということは考えられず、自民党の中のどの派閥を応援するかという、党の内部における政策の違いに焦点は絞られていたわけである。

我が家は、商業地域内の商店街、DID地区の中にあり、政権政党を支持することでしか得られない「幸せ」というものが存在した。

もっとわかりやすく言えば、道路拡張にあたっての国や県への働きかけにおいて、政権政党以外の代議士を支持しても、メリットはなにもないのである。

道路や公共施設などのインフラ整備においては、自民党内において、実力を持つ代議士のパワーというものは、絶大なのであった。

直接的な関わりを知れば、商業者にしても農家にしても、自民党以外の候補を推すことには、何もメリットがないのである。政権政党の代議士であってこそ、「動き」が見え、生活が変わっていくのである。これが、現実というものだ。

昭和から平成に変わり、自民党VS社会党という、「55年体制」がさすがに古くて時代に合わなくなり、新党さきがけや、日本新党などの自民系を母体とした新党ブームが来る。

この流れは、国際政治における冷戦の終了と、東欧革命などによる社会主義政権共産政権の解体と轍をともにする。国際的には、「社会主義」も「共産主義」も、ひとつの役目を終えて、「自由主義」「資本主義」あるいは、ヨーロッパにおける中道左派政権の社会民主主義などのイデオロギーが時代を引っ張ってきた。

その流れの中で、日本では「民主党」という新しい選択肢が生まれ、それが勢いを持ち始める。社会党共産党といった、時代遅れの古臭いイメージでもなく、バリバリの左派という感じでもない中道左派のイメージ。政策的にも、EUをお手本とする政策が多く、例えば農業における直接支払制度の拡充など、私としては、自民党の中から派生してきた民主党には、大いに期待した。

そして、自民党以外の選択肢として、民主党に票を入れ、政権交代を実現する一票を支えた。

ところがそこに、東日本大震災

結論から言えば、経験の浅い民主党政権は、震災対応、あるいは震災からの復興の中で、民主党らしい政策を実現することができず、もっと言えば、停止していたはずの福島第一原発も稼働させ、最悪の事態を生み出した。とにかく、結果がすべてである。

結果的に、民主党内における主導権争い、あるいは政権を生み出した立役者である小沢一郎の離脱によって、再び自民党政権となるのであった。

その頃、民主党派生の新党ラッシュとなり、私は自民ではなくて、たとえば「みんなの党」「未来の党」といった政党に票をいれることがあったが、結局、それらの政党はなんの役にも立たず、少数政党に票を入れることは、一切やめた。

そして、この選挙において一票をいれるのは、自由民主党である。