楽山舎通信

わたじん8の日記です

令和元年5月5日 白馬岳(大雪渓)BCスキー

令和元年5月5日こどもの日 晴れ
長野県白馬村
白馬大雪渓 白馬岳 スキー登山

前夜発で自宅から380キロ先の白馬村猿倉登山口の駐車場に移動。
1
55分就寝5時起床6時出発
予想していたよりもクルマは少ない。朝の時点で、4分の一くらいか。人も少ない。

極めて温かい朝。ショートパンツでザックも持たずにボードを手にした若者が上っていく。それでいいんかい。

白馬尻までの林道は、ずっと雪がつながっていたが、長走沢のところは、そろそろ切れそう。

710分 白馬尻に出ると、沢を埋め尽くしたデブリが目に入る。この時間、すでに降りてくている人がたくさんいる。テント2張り。

デブリで埋め尽くされた沢の脇を登るのだけれど、シール歩行で斜登高できるほどのスペースがなく、さっさとアイゼン登高に切り替えた。登山者は、わりとバラけていて、ほとんどが登山靴での登山者。

雪面は、主として下りの登山者のステップが無数に散らばり、これは間隔が広いので登りには使えず、その中に、歩幅の狭い登り用のステップが二筋くらい続く感じ。アイゼンなしでも登れるけど、あれば楽で安心という感じで。

ところがそこを、靴底フラット溝なしのスニーカーにジーパン履きのお兄さんが上がってきた。しかも、けっこうなハイペースで、何事もないかのように上がっていく、簡単に追い越されて、あっという間に差が開いた。こっちは、10歩置きに止まってハアハアいってる坂で。

まあ、そのスニーカーの登山者は、当日の登山者間の話題となったのは、言うまでもない。
岩室の急斜面を登りきったところで、スキーに履き替える。
しかし、結構な消耗度で、両足ともにつり始める兆候をだましだまし動かしている。アイゼン歩行は、スキー登高と違い、筋肉の瞬間的負担が大きい。

途中までだいたい同じペースだった二人組と、スニーカー登山者はすでに見えず、ボーダーにスノーシューの方も遙か先に。
しかし、自分の後ろも一向に上がってこない。そう考えると、自分のペースがそれほど遅いというほどでもなさそうだ。

1130分 白馬山荘到着。意外に人がいない。多少風がある程度で、穏やかな登山日和。展望も良い。

休んでいる所に、山頂に登って来たスニーカー氏が降りてきた。ボーダーの方に、スマホのシャッターを頼んでいて、そこで軽く雑談。その見た目と違い、しっかりしている。いや、そうでなければ、「速攻」という時間で、あの格好で上ってこれない。まあでも、トレランシューズのランナーがこの時期に登るのは見ることあっても、ほんとうにただのスニーカーで大雪渓上って降りていくっていうのは、びっくり。すごい実力の持ち主である。「危ないから・・」って、誰かが忠告する必要はない。とりあえず、これは「あり」だと思う。

「山をなめんなよ」ってのとは、ちょっと違う。あの日のあのコンディションで、あのくらいの雪上歩行ができているなら、それは「なめてるわけではない」と、思った。

空身でほぼ100m上の山頂に登る。
白馬来たのが3年ぶりで、登頂は5年ぶり。
スキーで最初に上がったのが1999だから、20年目。
20
年前よりも、技術的経験的な要素は確実にレベルアップしたと思うが、体力は落ちていると実感。

見渡す範囲に人がいない状況の独占登頂だった。いやほんと、思ったよりも人が少ない。
それにしても、雪は多い。

シール剥がしてスタンバイ、と思ったら、G3の「溶けるグルー」が、スキーの滑走面にベタベタとひっついてしまった。この処理とワックスがけに思わぬ時間を費やした。G3は、春スキーではリムーバー持って歩かないと、ほんとに処理にこまる。

13:00、山荘脇から滑降開始。抵抗のないフィルムクラストとザラメの快適コンディションで、あっという間に高度を下げる。

13:30 白馬尻 疲れたしお腹空いたので、ここでしばしまったり。

14:00 駐車場に無事下山。

テーブルとチェア出して、コーヒー沸かして、山見ながらしばしぼんやり時間。
山見てるだけで泣けてくる。

のんびりと1時間半を費やし、名残惜しいけど猿倉を去る。

八方の湯に入り、「膳」の開店時間1730分までに間があるので、あたりブラブラと、さらにパタゴニアに入店。白馬点オリジナル商品をいくつか購入。混んでいる。
白馬は、他のお店にしても、長野の外れなのに、一流の展開がある。「白馬」というブランディングは、長野オリンピック承知運動していたころに住んでいた自分の印象からすると、成功している、と思う。バブルのはじけたリゾートって感じと、明らかに違う。

開店前に並んだ「膳」でお蕎麦と天丼をいただき、日が沈む白馬をあとにした。

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令和元年5月2日 東京

令和元年5月2日(木)特例で「国民の休日


午前は仕事して、午後から思い立って上京。
国立西洋美術館 ル・コルビジュエ展
東京都写真美術館恵比寿ガーデンプレイス)「大石芳野写真展」
ブルーノート東京 アルフレッド・ロドリゲス トリオライブ
上野に降り立つ。暑い。いつもよりも、さらに人多い。

さっそく西洋美術館へ。チケット購入に15分待ち。中に入ると、意外にスムーズに鑑賞できる。建築史で外せない巨匠の足跡を追いつつ、

建築が生まれた時代背景を探る。
重要ワードは、ピュリスム、キュビリズム。

ブルーノートの開場まで時間があったので、山手線外回りに乗車して、恵比寿あたりからブラブラ歩いていくかというプラン。
恵比寿で降りて、ブルーノート向けて歩き出したところで、「東京都写真美術館→890m」という標識が目に入る。

西洋美術館が閉館の時間に外に出たので、他の美術館をはしごするという考えがなかったが、写真美術館で開催されている大石芳野写真展も、チェックしてカレンダーに入れていたことが、頭のトップページにバーンと浮かんできた。
WEBで開催時間見ると、20時とあるではないか。

そこで、方向転換して恵比寿ガーデンプレイスを目指す。
自分の「日常」の街とは、あきらかに違う「非日常」で、「祝祭空間」としての街が、歩いているだけでもテンションをあげてくれて、楽しい。

まだまだ大勢の人が集まっているガーデンプレイスの、なんだか上質な空気感。時間がないので、さっさと写真美術館に入り、チケットの買い方に戸惑いながら(展示は一つだけではない)地下一階のギャラリーへ。
そこで最初に目に入ってきた写真と向き合い、もうなんか、あふれる涙を抑えるのが必死だった。
ぼくの他にも、すすり泣くのを抑えている人が複数いたので、静粛な空間でも、写真の訴える迫力に共感してすすり泣くのは、止めようがない。
学生時代、1980年前半に見に行って衝撃を受けたベトナムの写真も、もう一度ここで見ることになった。学生の頃は、辛くて見ていられない写真だったが、再会した写真にはじっくりと向き合い、「戦争の悲惨さ」と、それを、誰も伝えなかった視点で写真として伝えることの大事さを痛感しながら、人の営みを、どんな状況でも行きていくことの、静かな力強さを感じる時間だった。ライブ開演の時間が迫ってきて、後半は飛ばし気味に見ざるを得なくなったのは、残念だった。

恵比寿から南青山のブルーノートまで徒歩で移動し。まあ、ここでタクシー使うという手もあったし、「バス」で最寄りの場所までという手もあったが、「徒歩25分」というグーグルの表示は、早歩きなら15分か、ぐらいの感じで、都市の景観を楽しみつつ、早足ウォーキングした。都会の空間も、悪くない。

開演20分前に入場。
席は、いつもの通りに一番うしろのカウンター。早めに入ってる時には、右手のカウンターサイドを進められるが、左サイドで、ピアノプレイヤーの手元がはっきり見える角度の席となり、ここからボルテージ高まる。

ALFREDO RODRIGUEZ アルフレッド・ロドリゲス。

4月30日、インターナショナルジャズデイの、ブルーノートからのストリーミングを鑑賞し、その時にこのピアニストの演奏に惚れ込み、直後のブルーノートでのトリオライブのチケットをチェックしたところ、2日のセカンドステージに空きがあったので、速攻でゲットした。

クインシー・ジョーンズが認めた才能というだけのことはあって、まあ本当に、すごい。凄すぎる。

ピアノは「打楽器」だということを、なぜか強烈に感じた。鍵盤を叩く打楽器だ。
ピアノという楽器に、あれだけの感情、喜怒哀楽を込められるというのは、学ぶものではなくて、やはり天才なのだと、思わずにはいられない。繊細にピアノをかき鳴らす悲しみの表現は、ジャズというよりはクラシックよりの旋律なのだけど、ジャンルがどうなのかということは、最早どうでもいいことであって、あそこまで演奏に入り込み、聴衆を釘付けにするジャズ・ピアニストは、現代のプレイヤーの中には、いないのではないか。ほんとにもう、魂を持っていかれた。
ジャズ聞きに来て、頬を涙が伝うなんていう経験は、今回が最初で最後かもしれない。
あのソロ演奏の時には、たくさんいるテーブルの係員が、たぶん一人も動いていなかった。いや、そこに注意を払うほどの余裕もなく、ピアノに集中力の全てを払っていたのか。
とにかく、すごいピアノプレイであった。
自分の中では、最早伝説クラスの。こんなピアノ弾きがいて、生でその演奏を聴けたのだ。

この言い方は、パットには申し訳ないが、1月にでかけたパット・メセニーの2つのプログラムが、一気に後ろに隠れてしまった。でもそれは、このタイプの音楽が好きな人なら、わかってくれるだろうし、パット・メセニーも、それを理解してくれるにちがいない。

ルフレッドロドリゲスのステージが素晴らしいのは、ソロ・ピアノを含めて、繊細で聴衆サイドがグラスの音を出すこともためらうような演奏(魂もっていく3本くらい)と、それとは全く正反対の、陽気でポップな演奏とのバランス、というか、音楽はこれだけの悲しみを表現できながら、また同じ楽器で、同じ人が、はちきれんばかりの陽気な楽しさを表現できるという、音楽の幅と深み。
いや、なんかうまく表現できないが、軽い感じで「お楽しみください」ってのとは、全然違うプレイであった。
「私の人生を、私の悲しみを、そして私の喜びを、全てを音楽にして伝える」感じ。これは、クラシックのピアニストにも、たぶんなかなかできない領域のプレイ。ほんとにすごかった。

ブルーノートのセカンドステージだと、新幹線で帰るのはほとんど無理なので、諦めて夜行の高速バス。
この時期なので、ふだん3000円ぐらいの気がしてたのが、その倍。モバイルSuicaで新幹線の指定席チケット取るのと、1000円くらいの差しかない。つまり、気分的に割高だけど、他に手段ないので、バス。

高速バスの時間までを、東京駅近辺でブラブラ歩いて過ごそうというプランで、八重洲口鍛冶橋バス停を選択。しかし、東京駅の八重洲口側というのは、JRバス含めて高速バスの駅になっているのだが、すごいバスの量と、それを待っている主として若者の「群衆」といってもいいか、時期的なこともあるのだろうけれども、その「人の群れ」が、一種独特な様相を示していて、新幹線移動とはまた別の、時代の現実というものを目の当たりにした。いろいろと分かっていないと、人混みをかき分けて、自分が乗るべきバスに乗れない。すごい。これも日本の現実。そして、当然そこには、外国人旅行者も混じっている。お知らせのボードは、当然多国語でアナウンス。

そんなこんなで、還暦近いオヤジには、いろいろと刺激の多い、半日の東京滞在であった。

東京は面白い。

 

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令和元年5月1日

令和元年5月1日 
新しい時代のスタート。

象徴である天皇が代替わりすることで、政治や経済のシステムとしては、社会は変わらない。
天皇は、政治的なベクトルを持たず、天皇の国民への呼びかけが、政治的経済的に、本来的な意味では影響をもたないはずだから。
天皇は、神でも王でもなく、「象徴」なのである。
しかし、「平和への祈り」という、根源的な祈りの形、その姿が、国民の内面性に与える影響は、少なくはないだろう。

「時代が変わる」ということが持つ独特の雰囲気が、国民の意識高揚感に与える変化は小さくなく、しばらくは、祝賀ムードによる消費の拡大といったものが、続くのかもしれない。

歴史的に、こうしたいくつもの「時代」のリセットによって、日本という国家は、極東の小さな島国でありながら、世界から一目おかれる繁栄と信頼を作ってきた。

ところで、猪瀬直樹氏が「2020東京オリンピックを前にしての改元」ということの意味が、非常に重要であるというようなことを書いていた。
なるほど、である。

オリンピックを前にして、NHK大河ドラマいだてん〜東京オリムピック噺〜 を、初回から欠かさず見ている。ハマっているという言い方でも間違いない。

1964年の東京オリンピックに比較すれば、2020のオリンピックは、「国民的な盛り上がり」というほどの盛り上がり方ではないかもしれない。
ひとそれぞれの価値観が多様化し、テレビの視聴率を見れば分かる通りに、誰もが関心を持つ行事でもなくなっている。

それにしても、そのスポーツの祭典、世界平和のひとつの形としての祭典が行われるという時間の意味は、この時代の中においては頂点としての重さと深み、そして広がりを持っている。

そして、その一年前のこの時期に、天皇の代替わりが行われるということは、シナリオとして考えると、実に絶妙なタイミングである。

そろそろ60歳になろうかという、心身ともに衰えの目立つ年代に入ってきた自分ではあるが、自分の身体と相談しつつ、諦めずに、未来をポジティブに追い続けようぞ。

夕方MTB転がしてきた。
菜の花も終わり、緑が一気に濃くなった。