読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

楽山舎通信

わたじん8の日記です

2017/01/15箕輪山東面

安達太良連峰の麓の二本松市に住んでいるので、幼いころから山の基本はここで学んだといって間違いない。

積雪期、残雪期に安達太良の二本松側(東側)にあちこちスキーで入ってみて、結局箕輪山近辺に落ち着いている。おそらく、還暦を過ぎても、遊びの拠点はこのあたりなのだろう。

f:id:watajin8:20170122173912p:plain

 

正確には、箕輪の東側に伸びる緩やかな稜線の北側斜面ということになる。

同じような条件で、横向温泉スキー場と箕輪山を結ぶラインもあるのだが、いまのところ、この小さなエリアの魅力にはまっている。

クルマを停めるのは、115号から野地温泉方面に曲がったところにあるパーキングと決まっているので、道路上を若干歩くことになる。いろいろ試した結果、この入山ポイントが最も効果的とみている。

f:id:watajin8:20170115074334j:plain

 

積雪量が増えると、道路脇は切り立った雪壁になるので、そうじゃない場所を探すと、ここか、この先の沢かということになる。まあ、この先の沢沿いも面白いのだが。

 

 

f:id:watajin8:20170115083041j:plain

ヤブがでていていつもと感覚が違い、登るべきところを通り越してしまったが、ああ、ここもいけるのかと新発見。だから雪山は面白い。リスクもあるが。

 

f:id:watajin8:20170115091509j:plain

 

おめあては、このブナ林。斜度もそこそこにあって、強風吹き荒れる時にも意外に静かで楽しめる。なにより、北斜面のパウダーは絶品。

 

f:id:watajin8:20170115101750j:plain

 

深すぎてやばい。

 

f:id:watajin8:20170115104816j:plain

 

ヨボヨボになっても、このブナの森に入る。

 

広告を非表示にする

2017年1月7日 会津駒ヶ岳スキー登山

元旦に引き続き、天気予報で晴れマークのついていた土曜日を狙って檜枝岐に向かった。

深夜11時頃にテニスコートの駐車場に到着した時には、クルマは1台もなかったが、それから自分が出発する6時までの間に、12台ほどになっていた。元旦と違って、活気がある。

暗いうちに先行したパーティがあり、基本的にはスノーシューのラッセル跡を追うことになる。

f:id:watajin8:20170107064455j:plain

林道のショートカットを登りつめ、積雪期ルートの谷をトレースどおりに登る。スノーシューのトレースは、最初から尾根にあがっている。

谷を半分ほど登ったところで、先行者が左の尾根に上がらずに、谷の右を苦労して直登しているのが見えた。

自分は、経験的に尾根に上がったほうが絶対に楽だという判断なので、ラッセルして尾根にあがった。そこには、スノーシューのトレースがあったが、残念ながらスキーでその跡を追うのは困難で、ヤブの中をラッセルで上がることにした。

f:id:watajin8:20170107074029j:plain

旧アンテナからブナ林に入ったところで、先行する3人パーティが見えた。ブナ林の中は、使えるところはトレースを追い、追えないところは自分でラッセルしながらオオシラビソ林に入るあたりで先行者に追いついた。しばらく後をおっているうちに、後発の2人に追いつかれ、彼らが先頭になった(実際には、その先にもう一人いた)。

 

f:id:watajin8:20170107090548j:plain

ガンガンラッセルして進む若い人が休憩して先頭を交代し、その後は次にいたテレマーカーがスキートレースの先頭になる。

久々に燧ヶ岳が見えた気がする。

f:id:watajin8:20170107094012j:plain

 

森林限界を越えると、さすがにテンションがあがる。

 

f:id:watajin8:20170107095212j:plain

 

駒の小屋の下の斜面に、先行者の落書きがあった。なんという余裕!

 

f:id:watajin8:20170107100532j:plain

ここまで上がると、風の影響で積雪量も変わり、雪も若干硬くなるので沈み方が浅くなる。しかし、そこそこに消耗しているので、進めそうでもペースは上がらないわけで。

f:id:watajin8:20170107105111j:plain

3番手で登頂。風が冷たくて、長居できない。

雪面は、ウインドパックのハードとソフトのまだらで、それなりに苦労するも、快心のターン。

結局、そのままガンガンと森林帯へと入っていくも、雪が深すぎて緩斜面は進まず、ちょっとした登り返しに苦労した。

f:id:watajin8:20170107121931j:plain

 

f:id:watajin8:20170107134254j:plain

f:id:watajin8:20170107135657j:plain

 

 

穏やかに暮れる 2017年1月3日

檜枝岐村に向かうクルマの中で年を越した。
雪もなく、暖かい大晦日の夜だった。

元旦に、独りで会津駒ヶ岳スキー登山というのが、ここ数年の恒例になっている。
天気予報を見ながらなので、元旦はダメだなって時は、ずらしてしまうが、基本的には元旦に入る。

今年は、いや、昨年もか。全くといっていいほど人に合わず、静かな山スキーとなった。
最初から誰かのトレースあてにして入山してるわけじゃないので、自分独りで最後までラッセルする覚悟で入ってはいる。1月に入山して登頂できる可能性は、極めて低い。
天候にもよるが、ソロラッセルの消耗が意外に厳しく、標高1950の森林限界超えるのがやっとということが少なくなかった。

今年は、最初から登頂を予定したペース配分にし、序盤のペースを落としてみた。
途中も無理せず、なるべく無酸素運動にならないように心拍数を管理しつつ、ゆっくりめのペースで登ったが、そうすると、脚が切れることなく駒の小屋の下まで登れた。

しかし、森林限界の上で、雪面と空の境目がはっきりしないような視界だと、その先に行くことは躊躇してしまう。

登りは、まあなんとかなるのだが、問題なのは、下りの恐怖感。GPSだけを頼りに、しかもトレースなしの雪面を間違いなく滑り降りる自信が、その時はなかった。

体力的に、あと一割程度でも余裕があれば、行けたかもしれないが、安全策で登頂をあきらめた。視界の悪い中でふわふわの雪面を滑ると、身体がどうなるかということを経験的に知っているので、つまり「雪酔い」が出てしまった後の気分の悪さは、簡単には回復しないという経験を踏んでいるので、そのリスクを犯したくはなかったわけだ。

まあ、冬山の単独行は、そのぐらいの慎重さがあって正解だろう。

1月2日と今日3日は、お昼頃の「凍結しない」時間帯を狙って、あだたらスキー場まで自転車で登ってきた。

これも、昨年同様なのだが、それだけ雪がないことの証明でもある。
自宅から標高差800mほどを、80分ほどで上がるのが、だいたいの目安。
今日は、少しタイムトライアルモードの走りにして、72分だった。

今年、このトレーニングコースを何度走ることになるだろうか。

こうして正月休みは終わりゆくのである。

 

f:id:watajin8:20170101102920j:plain

 

f:id:watajin8:20170101111931j:plain

 

f:id:watajin8:20170103130304j:plain

 

 

2016年が終わる

平成28年12月31日。

昨年同様に、あっという間の1年だった。

2004年から続けていたブログを削除して1年になった。それによって、何かが変わったかと言えば、たぶん何も変わっていない。

それよりも、フェイスブックのアカウントを削除したことの方が、変化としては大きかったかもしれない。FBでしかつながらない人たちとの縁が切れた。

同じように消そうと思っていたツイッターは、結局消すことができずに1年が過ぎた。

ツイッターは、誰がどの程度見ているか、わかるようなわからないような、FBよりも干渉が少なくて、ツールとしては自分に合っている。しかし、表現が短文ばかりだと、そこそこに構成が必要な文章を書くスキルは衰えていく。

ブログの更新が、自己表現の核のようになっていた頃には、何かのテーマについて、それなりに深く考察する時間を持つことが少なくなかった。例えば、この時期になれば、自分が一年間に読んだ、あるいは買った本を振り返り、自分なりにベスト本を選んだりしていた。その記録は、ブログにアップしたもの以外には何も残っていないので、全削除した今は、振り返ることもできない。

まあしかし、振り返る必要などないだろう。

今の頭の中に残るものが、この先につながればそれでいい。

ただし、頭の中も本棚も、「棚卸し」のような作業は、スッキリとした未来への道程を得るためには、必ず有効になる。そう思う。

年末年始の、自由度の高い時間は、自分の棚卸しのためには良い時間になる。

とりあえず、元旦は恒例の会津駒ヶ岳登山にでかけてみる予定だ。

この時間でも、予定としかいえない優柔不断さが、なんだかなってところだが。

明日からの新年。自らの意思で、良い年にしよう。するのだ。

広告を非表示にする

ブログ再開してみよう

ぼくが最初のパソコンを買ったのは、1996年だった。

買ったのは、マッキントッシュのパフォーマだった。

大方の人とおなじように、それ以前はワードプロセッサー、ワープロを使っていたので、基本的にはワープロの買い替えという感じだったのだが、パソコンとワープロでは、できることに大きな違いがあって、「ワープロの時代は終わりだな」と実感したものだ。

パソコンでできることの中でも、インターネットというのは、恐るべきものであった。

基本的に、一匹狼スタイルで生きてきて、周囲にも同じ趣味の話のできる人がいない自分にとって、この「箱」はなんとも魅力的なものであって、インターネットなしには考えられない時代の始まりとなったのだ。

しかし、当時は今と違って接続する時間を短くせざるを得ず、その短時間で何をするかという制限の中での利用だった。「パソコン通信」によって、遠く離れた友人からはじまり、同じ趣味を持つ人どうしの情報交換、そして全く見ず知らずの人との対話と、人付き合いのヘタな自分にとって、「顔の見えない」関係による対話が、面白いものであると同時に、一言間違っただけで「炎上」してしまうという怖さも知ったものである。

1999年に、2台目となるバイオを手にした頃には、インターネット環境も急速に進化し、パソコンユーザーもどんどん増えて、ソフトも破竹の勢いでいろんなものが出るようになった。Windows98によって、時代が変わったということだったか。

ほどなく、自分のホームページを作って更新するようになった。

最初のデジカメを、8万円も出して購入したのも、この頃である。

ホームページを作ったのは、デジカメを買うちょっと前だったこともなり、ネットにアップする画像は、フィルムカメラで撮影した写真をスキャナで読み込んで、その解像度を加工してサーバーにアップし、ページの中に貼り付けるという、振り返るととんでもない手間暇をかけていたのだ。

ホームページは、テキストと画像が基本となるコンテンツであり、山スキーや登山の記録が主体となっていたのだが、テキストオンリーの「エッセイ」のコーナーを作って、思うことを記録に残してきた。

しかし、デジタルは「残っているようで残っていない」みたいなところがあって、当時の文章も記録も、ほとんど残っていない。無料サービスのジオシティ内においておいた山スキーの記録だけが、かろうじて残っている。

「ブログ」というシステムを知ったのは、2004年のことだった。

「なんと画期的なしくみだろう」

ホームページでテキストや画像をアップする手間が、一気に消えた。

それから昨年まで、ずっとブログを継続してきたが、昨年2015年の大晦日に全てを削除してアカウント解除した。その時のスッキリ感といったら、「雑念を消すとはこのことか」ってな気分だった。

あまりのスッキリ感で、ついでにフェイスブックもアカウント解除した。

ツイッターも解除するつもりでいたのだが、「放置プレイ」「既読スルー」的なところが居心地よくて、未だ解除できていない。

基本的に、ブログもツイッターみたいな感じで「誰が見てるかわからない」程度で良いと思っている。コメントに返信することは、「めんどくさい」としか思っていないクチだし、「コメント常連の感想に支配される」ことを良しとしないので、コメントは受け付けない設定にしようと思う。

とりあえず、20年ほどインターネット使ってきた自分の、今の気持ちは「コメントいりません」なのである。フェイスブックのうざったさの主要な原因は、誰が「いいね」したとか、コメントにまで「いいね」が割り込むとか、必要以上な干渉が、ほんとにまったく「ダメネ」だったのである。

そんなわけで、このブログは、特定の読者を想定せず、ひっそりとはじめることにしよう。