楽山舎通信

わたじん8の日記です

鉄山 2020年2月21日金曜日

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安達太良連峰、鉄山西尾根。通称「迷い沢」。

一部では「四段山」と呼ばれることもあるらしいが、自分にはピンとくるものがない。おそらく、安達太良連峰の中のバックカントリールートとしては、断トツの人気がこの場所で、記録も多い。しかし、今年のこの雪の量。

記録的に少雪なシーズンも、それなりに入っておくかと、このド定番コースへ。

115号線で見る雪景色が、221日というか、すでに3月かと思うような白味のなさで、まあいろいろと覚悟の上での入山。

仏沢の橋の南側が崩落していて、下り口がいやらしい。そして、迷い沢の渡渉点は、スノーブリッジなどあろうはずはなく、かなり久々にこわごわと石伝いに渡る。石の上の水際が凍りついていてよろしくない。

林道から最初の急斜面が、どうしようもないくらいに笹だらけで、急斜面ゆえのルート選びに苦労するが、雪質がわるくないので、普段どおりのペースは維持。

当然、その上の斜面も、真っ黒に見えるぐらいに笹とブッシュが出ているので、いつもと風景が大違い、迷いそうになる。まじで。

 

太めの立派なブナ帯から、オオシラビソ帯に乗り上げる急斜面も、当然笹だらけ。しかもガリガリで。まあ、こういう登山も、登山と割り切れば面白い。下手に、滑ることだけを考えると、「つまんねえ」となるが、スキーは登山するためのアイテムの一つぐらいに考えると、結構行ける。

 

きれいに霧氷がついていて、オオシラビソはモンスターの一つ前くらいのレベルだし、テンションあがる。そして、なぜか雪面がいい具合にフラットになっている。いつもは、荒れ荒れで大変な場所が。

 

標高上げるほどに、例年よりもいい感じの雪の付き方。なんでよ?。

 

そして、眼前に安達太良連峰の稜線と船明神、沼ノ平を囲む荒々しい雪山が見えてくると、一気にテンションあがる。東側から登る安達太良では見れないダイナミックな厳冬期の山容に圧倒される。

このあたりでアウターなしではさすがに厳しくなり、一気に鉄山まで上がれるようにダウンとゴアテックスアウター・ジャケット着込んで、気合い入れる。

 

避難小屋が見えたタイミングが9時50分で、避難小屋までのコースタイムが2時間半から3時間というのが自分の通常タイムなので、ペースは悪くない。ヤブに手こずるものの、ラッセルは無いし、程よくシールが効くし、樹林帯の中の雪面も荒れてなくて、思ったよりも楽しく登れている。

お決まりの強風で、避難小屋で休みたかったがそのまま鉄山の山頂に向かう。滑りに来たわけではなくて、鉄山に登頂しに着た。昨年は、ほとんど山頂という場所まで到達しながら、強風で冷える身体に危険を感じて撤退した。今年は防寒対策を厳冬期MAX仕様で来ているが、そこまでは必要なかった。常に暴風って感じでもなかった。

鉄山のなだらかな山頂につくと、スノーシューの登山者がひとり。

そしてなぜか不思議と、山頂は一瞬無風になったりして、絶対的に風が弱い。鼻歌歌ってられる。

それにしても、矢筈が森が美しい。安達太良連峰の中で、あの岩峰が、一番好きである。なだらかな山稜の中で、ひときわ牙をむく岩峰。いつも、あそこから南に滑り降りているが、北側もいけそうに見えるけど、くろがね小屋の上が立ち入り禁止エリアなので、無理か。

 

山頂はのんびりしてられるのだけど、避難小屋目指して降りだすと、また強風のエリア。そこで動けなくなったら死ぬしかないんだな、ってくらいの風。北西からの風が連峰の稜線を通過する時に、エリアの風を一気に集めてノドのようになっているのか。同じような場所は、馬の背(?)の方にもあるな。その関所を一気に通過するだけの準備に抜かりは許せない場所だ。

避難小屋まで降りて、小屋の風下で一安心。風あるかないかで、ほんとうに大違いだ。

 

シール剥がして滑降開始。ブナ帯の中間あたりまでは、まずまず楽しめたが、その下は藪こぎの技術と滑降の技術をミックスし、ルートを選ぶのが肝心なところ。

終わってみれば、楽しい山行だった。

ルートと写真はヤマレコにアップ。

https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2227350.html

 

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2020年2月10日 Lyle Mays 逝去

2020年2月10日。
Lyle Mays ライル・メイズが逝ってしまった。1953年11月27日生まれ。66歳没。

パット・メセニー・グループのファンでもなければ、このジャズピアニストの名前は知らないかもしれない。

パット・メセニー・グループ」は、パット・メセニーライル・メイズと出会うことで1977年(メイズ24歳メセニー23歳)誕生したわけで、ピアニストとしてのライル・メイズがいないパット・メセニー・グループはあり得なかった。

そういう意味では、2005年に出したグループ名義のアルバム、「THE WAY UP」が最後のアルバムになってしまうのだろうか。すでに15年も経っているが、その間にグループ名義のアルバム、及びライブも一度もなく(2009年にブルーノート東京でライブあったらしい)、ライル・メイズの名前をネット上で目にする機会もなかったので、表に出る音楽活動はやめていたのか、それとも病気なのかと想像していた。
この訃報にあたり、かすかに情報がでてきて、さっそく更新されているウィキペディアには「再発性疾患との闘病生活の上」とあるので、肉体的精神的にも、それまでのような音楽のステージに立つということは難しかったのかもしれない。

パット・メセニー・グループでは、良くも悪くもパットだけが突出して目立ってしまう傾向があり、その意味ではピアニストのライルは陰の存在でもあったのだけど、実際、ステージでの表情、印象からしても、ブラジル的(?)に明るいメセニーとは対照的に、あまり感情を出さない、内向的なエネルギーを感じるのがメイズだった。
最も、ピアニストという立ち位置は、聴衆と視線をあわせることは稀というかあり得ないポジションで、常に鍵盤か楽譜を見つめ続け、たまにメンバーと視線を交わすくらいなので、それが普通なのかもしれないが、自分の好きなピアニストの中では、チック・コリアとは対照的なピアニストということになる。
ソロパートの展開を見ても、「どこにいっちゃうんだろう」という、幻想的な、「あっちの世界」に持っていかれることが少なくなく、私としては、その独特な瞑想的なトリップが好きだったからこそ、ライル・メイズというピアニストが好きだったわけでもある。

ライル・メイズその人に関する情報は、パット・メセニーの情報に比較すると、10分の1どころか、100分の1くらいの量かもしれない。
私が持っているCDで、ライル・メイズ名義のものは2枚しかないが、そのうちの1枚「ストリート・ドリームス」という1988年のアルバムは、たぶんライルのCDの中では最も売れた一枚かもしれない。
パット・メセニー・グループが、最も脚光を浴びていた時代がその頃で、87年の「スティル・ライフ」89年の「レターフロムホーム」の2枚は、ジャズ・フュージョンにおける名盤といってもいいアルバムだし、その狭間での「ストリートドリームス」も、当然その波の中にある音楽だ。

といっても、私がこの1988年のアルバムを知ったのは、つい2年前の話で、NHKFMの夜のプレイリストで、どなたかが紹介していた一枚だった。

昔だったら、これは中古レコードショップで探すことになるわけだが、インターネットの時代は、ヤバい。即ゲットした。

驚いたことに、このアルバムは日本盤だったのだが、そのライナーノーツが非常に興味深い内容だった。ライル・メイズについて書かれたものとしては、「国宝級」と言っても過言ではない内容。輸入盤ばかり買っている自分としては、ちょっと高くても日本盤のライナーノーツの情報は侮れないなと実感。

その中からキーワードを紹介すると、ひとつは「ビル・エバンス」もう一つは、「ライルのバランス感覚で言えばパットは破綻している」。

本人の言葉から引用すると、
「ライティングに関しては、ストラビンスキーやプロコフィエフラヴェルといった作曲家たちから多くを学んだ。オーケストレーションに関しては、スティーブ・ライヒからもかなりの影響を受けた」とある。

ただし、本当に残念なことに、パットとの間で、何かがズレてしまっていたのかもしれない。
SOLOで突き詰めている音楽の世界のその先に、ほんとうは立ち入ってはいけない世界があったのかもしれない。
パットがフェイスブックなどで書いているニュアンスからも、ちょっと簡単には言えないミゾの存在を感じるし。

ともあれ、1980年代からのかなりの期間、ぼくにとって一番のお気に入りだったジャズピアニストは、ライル・メイズだったということは間違いない。

パット・メセニー・グループの、「らしさ」を感じるメロディラインの少なからずは、やはりライル・メイズのピアノやキーボードなしではあり得なかったのだ。

彼の訃報から1週間。
この訃報を伝えて、追悼の曲をラジオから流してくれるのは、ピーター・バラカンさんの番組くらいかなと思っていたが、昨日、土曜日のNHKFM「ウィークエンドサンシャイン」では話題にならなかった。

そして、今日、もうひとつのバラカンさんの番組、interFMのバラカンビートではさすがに話題になるだろうと思って聞いていたら、最後の最後にライル・メイズのことが語られた。この番組聞いているライル・メイズファンが、黙ってはいなかった。
追悼曲として流れたのは、1981年のアルバム、Pat Metheny & Lyle Mays "As Falls Wichita,So Falls Wichita Falls"から、September Fifteenth(dedicated to Bill Evans)

なんとも沁みるリクエストだった。

何度振り返ってみても、ぼくのここまでの音楽の趣味は、パット・メセニー・グループを軸として広がってきた。

だからこそ、

ありがとう、Lyle Mays
どうぞ、安らかに。

箕輪山 2020年2月2日日曜日

2020年2月2日日曜日 晴れ
箕輪山(1728m)東面往復

記録的な暖冬と少雪の2020シーズン。このまま春になってしまうのかと思うほどに暖かい日が続いていたが、週末に寒気団が降りてきた。そして、久しぶりに見る西高東低の冬型の気圧配置。これは山日和だろうと予想された日曜日。
選択肢は、いつもの会津駒と安達太良エリア。定番以外に行き先ないのか、オレ。
吾妻は、2000年あたりまでにスキールートはほぼ制覇したのだが、基本的にリフトで上がる上り方がすきじゃないので敬遠している。

箕輪のこのルートは、マイオリジナルであり、かれこれ20年通い続けている。自宅から車で20分で入山できるコースであり、安達太良本山と同等なのだけど、何しろトレースなしで誰にも合わないのが、すこぶる良い。
「ああ、山に行きてえ、でもトレース追うのはいやだ」な気分のときにはここに入る。しかも、午後の時間を別のことに使える。檜枝岐まで出ると、移動時間含めてたっぷり一日コースになるのは、休日の使い方的には痛い。

このルートは、自分で言うのもなんだけど、上級者向け。何しろ、ルートファインディングがけっこう面倒。いや、雪山専用のルートは、どこでもそんなもんだろうが。

何度か書いているが、安達太良連峰の東面(太平洋側)では、唯一オオシラビソ林が存在する。(と思う)

まあ、「ドパウ」とかは言えないが、何度来ても飽きない魅力がある。獲得標高的には、あだたらスキー場から山頂に上がるよりも若干多いと思う。時間的には「お手軽」なんだけど、わりと難点が多くて、特に箕輪の山頂エリアは視界が聞かないとGPSに依存するハラハラ登山になる。間違って北側に踏み込むと、崖とクトーの効かない氷結の斜面になるので、注意が必要である。

記録の前置きにしてはながくなった。
まあ、自分の記録だが、考えを整理しておくことは重要だし。

コンパスに提出した登山届(ココヘリは計画書提出マストなんで)では7時スタート。が、7時の時点では、自宅で多めの朝食を食べていた。現場についたのは7時半。「あ、シール持ってくるの忘れた」
車にスキー積むときに、シール貼っていくかと思いつつ、ザックに入れずに出しておいたのを、結局貼らずに置いてきた。出てくるときに、ザックの他に着替えとか他の装備なんかを別のトートに入れてくるときは要注意だな。入れたつもりのヤツを置いてきてることは、けっこう多い。大学生の頃から同じような忘れ物してるので、ボケてるわけではなさそうだが、さて。

アイゼンだけで登ることも考えたが、昨日降ったと思える新雪が20センチはあり、スキーなしはありえんだろうと結論、自宅に戻る。往復1時間あれば余裕なので、9時には登山開始できる。というか、強風と山頂方面の視界の悪さは、1時間後に登山開始にしたほうが良いだろうという、ポジティブな判断。それはあたりだった。

正月休みに入ったときには、笹薮で話にならず、1時間で撤退したが、さすがに今回は入れた。が、表層の下は、溶解凍結層でガリガリ。やばいヤツ。

灌木のうるさいブナ帯をラッセルするでもなくキックターンの連続で上りあげ、いつもは沢筋に入るところを、雪庇の張り出す尾根筋のルートを選択した。ガチガチの斜面で、スキーアイゼンがガチガチとよくはまる。

雪庇のある尾根を乗り上げると、一度平坦になり、ここから更にブナの大木のある北斜面の急登。ここが良いポイント。最後の急斜面は滑落すると面倒なので、慎重にルートを選ぶ。何度も通ってるうちに、乗り上げのポイントは定まっている。

乗り越えると、オオシラビソ林のある平原にでる。そして、箕輪の山頂が樹林越しに覗く。自分としては、絶景のポイント。積雪期しか入れない場所だ。

しかし、いつもよりも雪が少なくて、風景の見え方が違う。すると、ルートの選択もいつもとは違うパターンで。

雪が硬いので、さっさと上がれる。いつもは北側にルートを取る大斜面。今回は南側から上りあげた。上りあげてから、山頂に向かうのに、平坦な部分は一度下りになり、ロスが多い。だから、いつも北回りなんだけど、凍っているといやらしいのが北側。南回りのほうが安全面では有利。

ほぼ主稜の高さまで上がると、風が強く身体が冷える。ここまでアンダーシャツの上に1枚のみで上がって来たが、ゴアのアウターを着込む。

止まらないで進み続けるペースで山頂まで上がる。
いつもは踏み抜きだらけになるハイマツとシャクナゲの落とし穴だらけの箕輪頂稜は、ガチガチに凍ってあるき易きことこの上なし。過去最高レベル。1728の最高ポイントを越えて箕輪山の標識のある場所まで。

いつものことながら、風が強くて長いできず、写真とってシール付けたまま滑降開始のエントリーポイントまで移動。とにかく、風強い。

頂稜の端まで来て、シール剥がして準備しているうちに曇りだしてきた。標高で100mくらいのことだけど、ここで視界なくなるとヤバいのでさっさと滑り出す。

パウダーとハードパックとシュカブラの斑で、スピード出せない。

さっさと滑りこんで、オオシラビソの森の入り口へ。風が消えた。ザックおろしてちょっとのんびりレーションタイム。
そこにおふくろからメールが来て、「精米にいく」と。「あと1時間で帰る」と返信。
こんな山の中にいて、あと1時間後には帰宅してるっていう流れは、悪くないな。

さっさと下山。雪の状態は悪くない。表層の雪を落としながら、その下の凍結層で滑る感じ。パウダーを滑っている感じには程遠い底付き。

野地温泉への道路に降りる頃に、雪が降り出してきた。温泉省略して、さっさと帰宅した。

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