楽山舎通信

わたじん8の日記です

令和4年 二本松市議会議員選挙についての走り書き

65日投票の市議会議員選挙。

木曜日で中盤に入ってきた。最近、自宅で仕事していることが多いので、うるさいぐらいに各候補の選挙カーからの声を聞く。走る選挙カーのスピーカーからは、名前の連呼しか聞こえないので、政策はどんなもんなのかと、とりあえずフェイスブックに登録している候補者のページはブックマークし、ざっと見てみる。

ところが、フェイスブックを見ても、何を考えているのかは、ほとんどわからない。「○○します」「〇〇すればいいんです」とか、市政への提案のようなものはあるが、これは市長選挙ではないので、市議会議員の「〇〇します」が実際に実行される確率は少ない。

市議会議員の目に見える仕事というのは、その議員の地元の中における、インフラのちょっとした整備あるいは修繕だろう。

防犯灯つけたとか、歩道整備したとか、ちょっとした変化でありながら、地域住民の生活の安全性を向上させるようなインフラの整備である。

ところが、当たり前ではあるが、市議選の運動期間中に、「地元」ではないエリアの中で、細かいインフラをどうこうします、ということは言えない。そもそも、そのエリアの住民の要望はなんなのかがわからないからである。

ところで、ここ最近、「地元」の候補あるいは市議がいなくなっている私の「地元」において、よそのエリアの候補が「地元の・・」と大声でスピーカーから声を張り上げながら街宣していくのが、なんとなく許せない。

基本的なところとして、たとえ安達町とエリアを接しているからといって、生活空間が共通しているからといって、旧二本松市の七町の住民のほとんどは、安達町エリアの議員に「地元の」といわれることには抵抗があるだろう。

というか、私は抵抗がある。

これは、平成の合併後における二本松市の問題点を内包している。

というか、とりわけ2011年の震災後のことではあるが、大雑把にいうと、市街地の中心軸が、安達エリアに移った。

このことを、如実に表すのは、人口動態である。

人口減少がスタンダードになった時代にあって、人口が増加しているエリアがあり、それは私の住むエリアの隣りの旧安達町分になるのだが、そのエリアから見ると、昭和まで栄えていた旧市内の中心市街地は、没落してパワーを失っている「昔の街」としか見えないに違いない。

ましてや、市議会議員候補の数にしても、人口の多い、そのお隣エリアには何人もいるのに、こちら側はゼロなわけだから、草刈場になるのは致し方ない。

今のところ、私は投票する候補を決めきれていない。

特に面識のある人がいるわけでもなく、候補者のポスティングぐらいでは、判断の基準にはならない。

とりあえず、地方新聞に小分けで連載されている、各候補へのアンケート調査の答え方を見て、もっとも信頼できると思われる候補に入れることに決めた。

一人が落ちる激戦で、順当に行けば、4人の新人候補のなかで地盤の弱い一人が落選するということになるのだろうが、前回の選挙で、やはり一人落選したのは、現職だった。

無所属議員がほとんどの地方の市議会においては、与党野党という区分けはできないが、議会の果たす役割においては、市長派なのか、反市長派なのかを明確にしておくことは大事だと思っている。

参議院選挙の候補者が決まって、県内各地で運動を繰り広げる中で、ウクライナ情勢に象徴される国際情勢の不安定化を大きな理由として、自民党の支持率が圧倒的になっている。

それは無理もなく、私も自民支持であり、おまけに原発による発電を推進すべきだと思っている。

もはや、震災後の「県民総原発アレルギー」のフェーズは終了した。一刻も早く、脱炭素のエネルギー政策を実現することが、国際社会の中でのエネルギー小国日本のあるべき道である。安全性を確保して、原子力発電を稼働させ、少なくとも石炭を燃やすことはやめるべきだ。風力や太陽光発電には、限界があり、この国土で100%を求めることは、自然環境を悪化させるだけで持続可能とはいえないだろう。

そういった傾向を踏まえながら、足元の地方自治を考える時に、「平和」の基本的な捉え方が、「非武装」では話にならない。

今起きていることを、冷静に見れば、誰でもそう思うに違いない。だから、自民支持率があがり、内閣支持率があがる。

足元にあっては、食料やエネルギーにおける将来的な基盤を考えて地道に実行することが大事だろうし、震災後の「復興」という方向性の中で進んできた施策も、もっと国際情勢と人口動態の変化に合わせた、持続可能型のプランに修正する必要があるかもしれない。

というわけで、とりあえず、地方紙のインタビューに対する答え方を見ながら、もっとも共感できる一人に1票を入れることにしよう。

2022年5月29日(日)磐梯吾妻スカイラインヒルクライムレース参戦(土湯)

昨年に引き続き、スカイランのヒルクライムレースに参加してきた。

昨年は、高湯側からと土湯側からの2ステージにエントリーしたが、今年は土湯側のみ。昨日、土曜日の高湯ステージは、開催が危ぶまれるほどの爆風の中での開催だったようで、二本松の平地でも「この風はやばいだろ」と思われる強風が吹いていたので、察するに余りある。

ちなみに、5月25日には、二本松で竜巻が発生し、クルマが吹き飛ばされるなどの被害が出た。とにかく、大気の状態が不安定で、晴れているからと言って安心できない日々が続いた。

土湯ステージの今日、日曜日は、朝から快晴で、昨日と違って強風が吹いているわけでもない。これは最高の天気だ。と一瞬で思った朝だった。

昨年とスタート地点が違っていたのは、会場ではじめて知った。今年は道の駅つちゆの裏側の駐車場から。この選択は正解だと思う。距離にすれば、4.8キロほど短くなった。というか、道の駅つちゆからだと、気分的にはずいぶん短い感じになる。

参加者が、昨年よりもだいぶ少ないと感じたのは、スタート地点の空間に余裕があったからだろうか。いや、実際少ないのだろう。

今回は、スタートから一端下って上りで、ここで飛ばしすぎてその後すぐに失速してしまった。心拍数が170近くまで上がっていて、これを一端下げようとしてペースを落としていたが、結局166あたりから下がらずに、ずっとそのまま。踏めば踏めるけど、スカイラインに入って終盤の足攣りを避けたくて、ペース控えめ。

ちなみに、レベルの違う走りの方々に、序盤で大量に抜かれて(50代はスタート時間が早め)、なんとなく、後ろには何人いるんだろう、的な静かな戦い。ファンライドじゃないんだけど、ファンライドみたいな走り。

走りながら考えていたのは、ある原稿のタイトルで、突如降ってきた「ファイティングスピリット」。ここ最近の競技と言える競技は、昨年今年のスカイラインヒルクライムだけなのだけど、なぜか「ファイティングスピリット」が降ってきた。

順位を上げるというよりは、自分自身との戦いなのだけど、その闘志は、やはり一人で走っている時とは全く違う。人と競い合うということは、お互いの可能性を引き上げるということなのだけど、自転車にとても登山にしても、常に「ソロ」であることを尊しとしてきた自分には、やはりこういった機会が必要なんだなと思いつつ、ペダルを回していた。

1620mの最高地点を過ぎて、別に全開にすることもないのだけど、上りが終わって平地から下り基調ということもあり、これ以上漕げないというスピードでゴールした。記録は1時間29分だった。29分か30分かの差が、最後のダッシュだったかも。

50代のレースは、これが最後になるだろう。今年は、母の一周忌が済んでから、徐々に本格的な登山に戻っていきたいと思っている。

浄土平

 

 

2022年4月17日(日)クルマの納車で富山に行く

2022年4月17日日曜日 晴れ

 

朝、屋根にびっしりと霜が降りていた。

先週末に、20度どころか25度を超える日が来て、桜が一気に満開になり、それが木曜日からの雨と低温で、一気に見頃の色を過ぎてしまった感がある日曜日である。

さてと、私は、大学卒業と同時にクルマに乗り出したので、運転歴は、かれこれ37年目になるのか。

最初に購入したのは、スバル・レオーネエステートバン4WD。51万円。

まあ、それから間の話をすると長くなるので間を割愛し、15台目となるクルマを購入し、富山のお店まで納車引取りにでかけたのである。

東北新幹線が全線開通した日に、つながりにくい「えきねっと」でやっとのことでチケットゲット(自由席は極力乗らない)し、初めての北陸新幹線で富山へ。7時6分郡山発のやまびこ340号。これは、地震の影響からの臨時編成のダイヤで、本来のダイヤだと204号になる。一応記録。

私は、景色の見え方を意識して指定席窓側を取るのが基本で、東北本線上りはE席(進行方向右側)。北陸新幹線下りもE席(進行方向左側)、ということになる。が、都市的な景色にはあまり興味がなくて、基本的には読書の時間。寝ない。眠くならない。

北陸新幹線で、高崎すぎたあたりから心がざわつき始め、浅間山は左の席からは見えないのでパスしたが、佐久あたりから遠くに真っ白く見える穂高連峰らしきをかすかに確認し、テンション上げ上げ。山が見えると、なんでこんなに気分が盛り上がるのか。

長野から、2019年(令和元年)10月、台風19号の水害で被害のあったあたりと千曲川の位置関係なんかを無人の右側3列シート越しに確認し、トンネルを何度か抜けて、妙高三山が、たぶん新幹線から見える残雪の山としては、一番そばに見えてきた。

と思ったら、あっという間に糸魚川。トンネル多いので、間が端折られる。

そして、立山連峰が全く違う存在感で目に入ってくる。ほどなく富山になるので、降りる準備を開始。当たり前だが、クルマで走るのと時間の感覚が全く違い、糸魚川越えて富山までも新幹線はあっという間だった。これが、北陸新幹線初乗車の感想。いやあ、新幹線早いわ。今まで高速道路でクルマで移動していた時の時間と場所のイメージが、塗り替えられた。当たり前か。

富山駅を出て、ターミナルの中から路面電車LRTの乗り場を探す。すぐに分かり、乗るのは8番線。支払いは交通系ICカードで後払い。わかりやすい。

LRTが走っているだけで、街のグレードが高く見える。テレビで見るヨーロッパの都市みたいだ。

住みたい都市のランキングで、富山市がナンバーワンに定着する理由の一端が、なんとなくわかる。いや、LRTが走っているということは、都市の魅力の主要な要素ではないのだろうが、欠けてはいけない要素という気はする。

私が乗った富山港線は、クルマと共有の路面から離れて専用軌道になる。降りた駅「下奥井」は、工業地帯らしき場所にあり、降りたのは私一人。そこから目当てのお店までは、西向きとなり、快晴の中に真っ白に光る立山連峰に向けて20分ほど歩く。ちょっとした時間だったが、印象に残る道となった。

目当ての自動車販売店に着き、初めて対面する担当の方と、さっそく納車の手続き。

いやほんと、このお店に出会えて良かったと、心から思えるマニアックでクルマ好きのお店だった。

これが、23歳で最初に買ったクルマ「レオーネ・バン」から15台目となる。レジャー用途と、建築関係の仕事用と、別々に持つので、36年という年月だと、こんなもんだろう。時代は、ハイブリッドから電気自動車に入れ替わるボーダーラインで、なおかつ国際的な石油市場の不安定化で、ガソリンも軽油もバカ高い時代になってきたが、クルマ乗らずにできる仕事でもないので、この仕事を続ける限りは、やはりワンボックスの4WDは一台置いておくしかない。

中古車選びは、昔だと分厚い「カーセンサー」などの情報誌で探して電話して、というのが定番だったが、ネットの時代になってからは全てのクルマがネット購入。「買います」と決断する前に現車を見ることは殆どない。

一つ前に買ったハイゼットカーゴだけは、お店が福島だったので見に行ったが、店が遠い場合は、陸送で送られてくるクルマを、自宅で初めて見るパターンだった。陸送も、専門業者だと、クルマを買った店の営業マンと、一度も顔をあわせないというパターンが普通になっていた。

そこからすると、自分でクルマを引き取りに二本松から富山まで行く、というのは、きわめて例外の対応だったが、やはり、対面でクルマを買うというのは、気分の盛り上がり方が全然違う。

今回のお店は、自分の歴代の記憶の中で、間違いなくナンバーワンだった。ハイエースレジアスエース)とエブリィの専門店というマニアックさ。ネット時代だからこその、専門店。

大手の中古車販売店でクルマ買うのとは、全く違った対応。ハートtoハート。

クルマを持つこと、そのクルマでドライブすることのワクワク感が、納車の対応でこうも違うものか。まるで新車を買う時のような、細かな説明。いや、トヨタのディーラーで新車を購入するにしても、ここまで詳しく説明はしないだろうと思われるが。例えば、今どきのディーゼル車では、ついているのが当たり前のアドブルーの補充の仕方に関する細かい説明。タンクの残量が見えないタンクに、どんな容器で何リッター入れるのか、とか。オプションでつけたものの外し方も詳しく。まあ、一度聞いただけで全て記憶できるのかは怪しいが。

満点の対応での納車から、初めてのドライブ開始。任意保険の契約が間に合わなくて、自賠責のみなので、よけいなことせず高速に乗って、さっさと帰るつもりだったが、立山連峰の眺めがあまりにもすばらしく、とにかく記念の写真が撮りたいと思いつつ走るが、地理的に不案内な場所で、おまけにカーナビに任せたままだったので、ここぞという場所を見つけることができないままに滑川市に。

滑川インターチェンジに向かうと、その道路からまっすぐ見える白い峰々に吸い込まれるように、丘の上まで走ってみる。小高い丘からは、立山連峰の眺めは元より、日本海も見える。穏やかな日で、新しいクルマで、気分は最高潮。

こういうところで、余計な寄り道していると、何か「やらかす」タイプなので、オンサイトで知らない道を勘を頼りに走り回るのはほどほどにし、名残惜しくも滑川インターから北陸道に乗り、帰宅業務を開始した。

富山市の「hike 」にて

毛勝三山から剣岳立山、奥大日岳の峰々 たぶん

 

よーし、今年こそは、富山側、滑川から剣岳に登りに行こう。