楽山舎通信

わたじん8の日記です

2023年1月1日(日)令和5年兎年元旦 感性を研ぎ澄ます

202311日(日)元旦。令和5年兎年が始まった。

夕べは、いつになく遅い時間まで起きていて、午前零時に花火の音を聞き、近くの山の上にある、「文殊様」で、歳を越す氏子の人たちが叩く太鼓の音を耳にした。ここ最近、この音を聴くことはなかったが、太鼓の調子が完全にお祭りのお囃子であるしゃぎり囃子になり、音も力強くなっているので、氏子の世代が大きく交代し、あの太鼓の音の主は、〇〇さんであろうと、顔が浮かんだ。

昨夜は、Eテレで井上道義指揮によるN響のベートーヴェン交響曲9番に酔いしれた。その前の時間帯は、ネットラジオdateFMの老舗ジャズ番組、板橋恵子さんのjazzstruttinで、締めくくりがパット・メセニーたっだことがただただ嬉しく、そのままパット・メセニーのアルバム聞くかと思っているところで、そうだ第九じゃないかと思い出した。

それにしても、井上道義さんの指揮というか、指揮台の上でのパフォーマンスが素晴らしすぎる。見に行きたいと思っていたN響の第九の演奏を大晦日に聞けて、ウクライナでの侵略戦争やら、安倍元首相の暗殺やら、終息せぬ新型コロナやら、いろいろあったけれども、個人的にはそれほど悪い歳でもなかったなと、寅年最後の4時間ぐらいを過ごした。

第九の後の、「クラシックの名演・名舞台」も、寅年最後を名残惜しみながら見ていたが、その中のかなりの番組を自分が見ていたことに、クラシック沼へのハマり方が、自分が自覚する以上に深いようだと実感した。

何が自分の心に響き、何が心に響かないか、というのは、自分自身の感性の問題なのだけど、つまりは、「好き」という思いで始まる音楽への造詣は、わかりやすく言えば、それまで聞こえなかった音が聞こえるようになり、ただ眠いだけの音楽が、目が覚める音楽に変わっていくことにつながり、結局は「感性を研ぎ澄ます」という感覚になる。

世の中は、自分の感性を研ぎ澄ますことで、全然違ったものに見えてくるのである。ボケッと、ただの老人になるのは、自分の生命に対して、失礼というものだろう。

みたいなことを、還暦を迎えた寅年最後に実感した。

何かに縛りをかけられること無く、言ってみれば、この「友達なし」を貫くフェイスブックの立ち位置みたいに、人がどう思うかとか一切無視して、精進を続けてみよう。

感性を研ぎ澄ます。

そうすることで、ワクワクが止まらない人生が続いていくのである。