楽山舎通信

わたじん8の日記です

2022年6月5日(日)東北へのまなざし1930-1945 講演会「リュックを背負った芭蕉」

お昼頃に告別式の予定が入っていた日曜日。

トイレでツイッターを見ていたら、「東北へのまなざし」のツイートが引っかかり、講演会が開かれる当日であることをタイミングよく知った。なんとなくピンときて、これは行かねばならぬという感じで、講演会の2時という時間が、告別式の1時の1時間後ではあるが、昨今の告別式は、開始時間の30分前ぐらいに、御焼香して家族と黙礼の挨拶を交わし、返礼品を受け取って帰ってくるという流れが定着しているので、県立美術館までの移動時間は余裕で確保できそうだった。

蛇足ではあるが、「東北へのまなざし」というタイトルを目にした時、これは、会津若松にある県立博物館の企画かとおもっていたが、福島市の県立美術館であった。私の中では「東北→赤坂憲雄→県博」という図式が定着しているせいか、企画自体が県博的な印象であった。

それにしても、コロナ禍で葬儀の形式が簡素化され、家族葬が多くなって知らせを受けない「死」も少なくなくなった。この流れを、2020年の2月あたりの状態に戻せるのは、いつのことだろうか。というか、2019年の12月に亡くなった芳賀沼整さんのお別れ会もできないままに、3年目が過ぎていく。この「簡素化」の流れは、断ち切らなければならないと思っている。ファーストフードのような儀式では、「死」の重みを受け取れない。

前置きが長くなった。

講演会のタイトルは、「リュックを背負った芭蕉」ードイツ人建築家が見た昭和初期の東北、である。

ドイツ人建築家とは、ブルーノ・タウトを指す。ブルーノ・タウトが「リュックを背負った芭蕉」だったのか。キーワードは、もちろん「芭蕉」である。「芭蕉」は、私の人生のキーワードのひとつでもある。しかも、この美術展の最大要素と言ってもいい存在は、柳宗悦であり、「民藝」である。しかも、私は建築に関わりつつ30年を過ごしてきた。

この講演会で、私が答えとして大きくメモ書きした言葉は、「多様性を包含した統一」である。これは、ブルーノ・タウトの「桂離宮」の評価点であり、同時に東北の旅における重要な視点でもある。左右対称のシンメトリカルなデザインが、美の真骨頂とされる西洋的な価値観と異なり、非対称性でありながらも、美的にまとまっているデザインは、日本あるいは東北の風土によって育まれてきたものだ、と捉えるわけである。風土の中で、無駄を排したデザインが、素朴ながらも美を生み出しているということである。

軽いエピソードの中で、目からウロコだったのは、隈研吾ブルーノ・タウトの関係である。

今回の講師である、沢良子さんの著書「日本美の再発見ータウトの見た日本」の帯を、隈研吾さんがかいているのだが、その短文が「タウトが導くままに 僕は図面をひいてきたと言ってもいい」である。

タウトの建築と隈研吾の建築に共通するところは何か、ということで数枚の写真が紹介された。タウトの日本での建築で、唯一残っている熱海の別荘での竹の使い方を、隈研吾は参考にしているらしいということで、無垢の木材の細い線を多様する建築の印象は、ここから来ていたのかと、驚いた。「〇〇と言ってもいい」という表現は、必ずしも断定的な言い方ではないが。

この講演で、自分にとって最も示唆的であったのは、短期間で「ピーク」を生み出すことの重要性、である。

ブルーノ・タウトが日本に滞在した期間は、3年ちょっとである。本来は、ちょっと立ち寄って渡航費を稼いでアメリカに行く予定だったようだ。その中で、東北の旅をした期間は、さらに短く、3度の旅で合わせても2週間程度。要点だけをかいつまんで「ピーク」に持っていく視点と編集力のすごさがある。

展示されていたメモ書きなどを見ても、凡人の「眼」じゃないんだなということが、すぐに分かる。

残された写真は、ピンぼけばかりで(カメラの性能の問題?)、その写真の背景が説明されないと、ただの古い写真の一枚にしか見えないが、今の時代の、何でもかんでもデジタルな映像や画像に残せる時代と異なり、一枚一枚を切り取ることが貴重な時代に、何を選んで何を残すかという「モノを見る眼」とその裏側にある作者の価値観の重要性に気づくのである。

展覧会の方は、ブルーノ・タウト関連は第1章にすぎず、前部で6つのテーマで展示されている。柳宗悦を扱うのは、第2章であるが、個人的にはやはりこれが圧巻であった。展示されているモノは、1月に東京国立近代美術館で開催された「民藝の100年」で展示されていたものが多く、再会という感じではあったが、テーマが東北に絞られると、やはり、より一層饒舌に語りかけてくる、という印象であった。

1930ー1945という時代は、戦争と大恐慌の時代であり、東北にとっては貧困の時代でもある。その時代背景を頭に入れながら、「民藝」を中心とした展示物を見ると、必ずしも「時代に翻弄」されているばかりではなく、民衆には民衆の、かけがえのない日々があったのだと気づくわけである。

パンデミックと、ロシアによるウクライナ侵攻で、世界情勢は第二次世界大戦後最悪と言ってもいい状況で、この後に大恐慌が来てもおかしくない。

だとしても、この時代を生きている人々には、普通の暮らしがあり、世界情勢など全く気にしていない「一度きりの人生」もある。

様々なコトを「自粛」して、同調圧力に負けて自分の中の壁を厚くしてしまうことは、ある意味で命の無駄遣いである。

人生は短い。

全ての旅が、そのとき最高のピークであるように、本気で向かっていきたいものである。

 

 

 

2022年6月3日(金)第30回インターナショナルオルガンフェスティバルインジャパン@福島市音楽堂

福島市音楽堂で、パイプオルガンの響きを聞いてきた。

パイプオルガンの響きを、ホールで生音で聞くのは、初めてかもしれない。かもしれない、というのは、学生時代に、東京カテドラルの教会のパイプオルガンの演奏を、本意ではなく耳にしていたかもしれないという、薄い記憶がある。強烈なインパクトを伴わないのは、「教会に行く」という行為が、私にとっては少し不本意な記憶であるためか、実際、場違い感が半端なく、東京カテドラルのあの建物の荘厳さと、そこに集っている人たちと自分との格差が、単なる田舎者としての甲乙以上に、「別の人種」的な違和感もあって、東京カテドラルに顔を出したのは、ただの1回切りだった。私は、学生時代を文京区で過ごしていたので、そこは散歩の範囲内でもあったが、なぜか近寄りがたい場所であった。坂の上の文京区よりも、坂の下、神田川沿いの豊島区のほうが、学生時代の私には合っていたのかもしれない。髭ぼうぼう学生の私にとって、身なりのきちんとした上流階級の人たちのニオイのする場所は、居心地が悪かった。

前置きが長くなった。

パンデミックの影響により、2020年に開催予定だったコンサートが、2度の延期の末に開催となったのが、今回のフェスティバルである。

このコンサートは、指定席なしだったので、開演間近に会場に到着すると、後ろの方しか空いてないかと思っていたが、開演10分前に到着してホールに入ると、「ガラガラ」だった。パイプオルガンは、「3階席」ぐらいの高さにあることもあり、座席は中心部から客席から見て左側後方を中心に埋まっていた。前部と右側は、ほとんど座っていない。ということから判断して、半分から多く見ても6割ぐらいの入りだったろうか。

ちなみに、音楽堂の入り口に「反田恭平 完売」の張り紙がしてあり、世界的な演奏家の演奏にも関わらず、パイプオルガンは人気がないんだな、というのをまず感じた。

このコンサートは、国内4公演が開催されるが、首都圏以外での開催は、福島だけである。後援にもずらっと名前が並び、もっと集客力があるかと思いきや、客の一人として、「もったいないな」と思うとともに、福島市民の音楽文化への関心は、高くはないんだな、とも思ってしまった。

開演とともに、司会として登場してきた女性にスポットライトがあたり、声を聞くなり、NHKのニュースで良く聞く声だ、と思ったら、「高石桃子」と自己紹介があった。NHKのニュースで見ている印象とはずいぶん違い、リカちゃん人形みたいに可愛らしくきれいなドレスを品良く着こなしていた。プロのアナウンサーの声で案内があるだけで、コンサートのグレードがぐっと上がる。

演奏者は、エルンスト・エーリッヒ・シュテンダー。ドイツ最高のオルガン奏者とある。78歳。

まずは、バッハのトッカータとフーガ。

いきなり音圧がものすごく、「キター」と思う。やはりパイプオルガンと言えば、バッハである。と、個人的には思う。バッハのオルガン曲は、なぜか壮大な宇宙をイメージさせる。ところが、バッハは最初の一曲だけで、次のベートーベンの運命のオルガンバージョン、エルガー威風堂々のオルガンバージョンの次から日本の音楽のオルガンアレンジになり、悪くはないのだけど、パイプオルガンの荘厳な感じからすると、私としては「ちょっと違うな」的な感想になっていく。もちろん、演奏は素晴らしいのだけれども、やっぱりなんかイメージと違っていた。

このフェスティバルの主催者である、児玉麻里さんが最初と最後に登場されたが、左腕から肩が包帯でぐるぐる巻にされていて、足にも包帯が巻かれている感じで、「医者に止められたが病院を抜け出してきた」という満身創痍の状態で、このコンサートの意義を熱弁された。

中で、バッハは4000曲、古関裕而は5000曲という紹介があり、これが強調されていて、バッハと日本の音楽を同列に置くことの大切さをお話されていたのだけど、音楽に素人のワタシの感想としては、「音楽の父」として、普通の学校教育の中でも突出した音楽家として教育を受けるバッハと、古関裕而を同列に語るのは、個人的な主張だとしても、なんか違うかなと思ってしまった。

演奏が終わってみると、やはり最初に聞いたバッハのオルガン曲の凄さが際立ち、できればアンコールでバッハの有名なコラールなんかを聞いてみたかった気がするが、それは、パイプオルガンによるオールバッハプログラムのコンサートが開催される日を待つしかないようである。

以下は演奏予定曲のコピペ。

 

☆オルガンソロ演奏曲目 (演奏曲目は変更されることがあります)
J.Sバッハ トッカータとフーガ 二短調 BWV565
L.V.ベートーヴェン 運命 交響曲 第5番 ハ短調op67
E.エルガー 威風堂々 作品39-1
滝廉太郎 作曲/児玉麻里 編曲 荒城の月
山田耕作 作曲/三枝成彰 編曲 この道
南能衛 作曲/三枝成彰 編曲 村祭
ジョージ・ガーシュウイン作曲 ス・ワンダフル
伊福部昭 作曲 ゴジラのメインテーマ
村井邦彦 作曲 翼をください
古関裕而 作曲 とんがり帽子
モンス.レイトヴィン.タクレ 命の力

2022年6月3日金曜日 選挙戦はあと2日

昨日、回覧板で配布された市議会議員選挙の公報。

全候補の政見を拝見し、もっとも共感できると思われる一人が浮かんできた。

まあ、その方は、母の葬儀にも顔を出された方で、そういうこともあって、最終的な決定要因は、この公報と新聞記事の質問に対する回答であった。明らかな反市長派でもある。

前回の市長選挙は、無投票であったが、次の市長選挙で現市長が後継者に託して引退するというのは、現時点では考えにくいので、この市議選挙で明らかに「反市長派」を標榜して選挙活動をするということは、ある意味で次の市長選挙を視野に入れているという話になる。私の勘であるが。

昨日も触れたが、コロナ禍とウクライナ侵攻という国際的な不安要素の中にある現在、自民党支持率と政権支持率は上昇し、党内運営がガタつく立憲民主の立ち位置は非常に危うく、このことは、末端の地方自治にも影響を及ぼす。

しかし、自民党の支持率が高くても、非自民の市長が県議候補が自民系を打ち破って当選してきたというのが、この自治体の歴史でもある。

時勢的なタイミングのもたらす「運」というものは確実に存在し、その「運」を直感的に手に入れる術を知っている政治家が、負けると思われる選挙を覆して勝つのである。

逆に言えば、自民支持率が上昇傾向の中で、イケイケどんどんで強気の選挙戦をすすめると、ありえない敗北を味わうのである。

市議会議員選挙や市長選挙のようなもので、国会議員とのつながりを意識した「国とのパイプ」みたいなものを強調すると、その「上下関係」のいやらしさみたいなものが有権者の中に伝わり、支持率は高いのに票につながらない、ということになるのだろう。

結局のところ、二本松のような田舎社会にあっては、政策がどうのこうのという議論よりも、昔ながらの「ドブ板選挙」で有権者の心を掴む候補が当選していくのだろうと思われる。

しかし、個人的には「どぶ板選挙」で勝ち続けるリーダーが主導し続ける市政は、あまり良くないと思っている。言わなくても伝わる田舎社会の同調圧力型の政治から、言論による論理的な民主主義の政治に切り替えなければならないと、私は思うが。

さて、気が変わらないうちに、期日前投票に行ってこようぞ。