楽山舎通信

わたじん8の日記です

二七日 とりとめもなく

はやくも、二七日(ふたなのか)、になる。(8月14日に母が死んだ)

私は、たぶん軽く睡眠障害になっている。

これは、母の体調が悪くなった頃から、不規則に続いていることでもあり、生活習慣が変わってしまったことも、たぶん影響しているだろう。ここしばらく、ロードバイクにまたがることもなくなった。お盆休みと、亡くなった母の忌引が重複して長期化し、仕事で汗を流す時間も、減少した。まあ、とにかく、様々な要素が絡んでの、睡眠障害だ。

しかし、ガーミンの腕時計が計測している睡眠時間は、ここ2週間平均で6時間10分と記録されていて、まあ、60歳前後なので、このぐらい寝ていれば十分だろう。実際、昼間に猛烈に眠くなるということもなく、昼食後の習慣となっている20分の昼寝がけっこう効果的に効いているのかもしれない。

だとしても、今日みたいに、午前零時を過ぎた頃に目覚めてしまい、もう一度寝るために読書してたら逆に冴えてしまい、ブログでも書くかという流れになるのは、精神的に健康とは言えないだろう。

昨年、2020年からのコロナ禍の中で、とりわけ「精神」の重要性を認識するとともに、自らの「精神」が、若い頃に感じていたほどに強靭なものでもなく、ふとした瞬間に、折れそうなほどに脆いものだということに、身体の劣化とともに気づき出した。

肉体と精神は、やはり表裏一体のものであり、肉体的な異常が起きた時には、精神の状態も不安定になるのが、普通の人間の生理的な働きというものなのだろう。

末期の膵臓がんであることがわかり、もう、先の人生が長くはないとわかった母は、それでも前向きに残りのひと月ほどを過ごした。とにかく、コロナ禍の病院は面会禁止なので、なんとしても自宅で看取るという目標を持ち、思い描いたとおりの最後のひとときを過ごし、穏やかで優しく微笑んでいるような、母の最後の顔を印象に残すことができたが、それは、最後の最後まで、前向きだった母の精神があってこそのことだ。

思えば、母は何があっても前向きで明るい人だった。

ちなみに、血液型はB型で、A型の父とは対照的であり、悪く言うと、大雑把で細かいことは気にかけないタイプでもあった。まあ、この性格は、AB型の私の中にも存在し、母の遺品を整理する中でも、ああ、やはり自分にはこの人の血が流れているなと実感することが、実に多い。

母は、「精神的にタフだった」と言って、たぶん間違いないと思うが、昭和のど真ん中の同世代の母親は、概して「精神的にタフ」にならざるを得ない、時代の特性があったのかもしれない。

そこから、唐突に「昭和は良かった」という時代論に到達してしまうのも、どうかと思うが、それでもやはり、母と過ごした日々を振り返ると、「昭和は良かった」と言えてしまうのである。

前向きになれない時代、それが「令和」の本質かもしれないが、それでも人は、自分が前向きになれる道を探し、後戻りせずに進んでいくのである。