楽山舎通信

わたじん8の日記です

2020年4月29日(水)「昭和の日」

2020429日(水)「昭和の日」

「昭和」という元号が、どうにも遠くなった。

昭和生まれから見て2代前は「明治」である。

まあ、「大正」の存在感が薄いので、実質的には昭和と明治は近い年代でもあるが、やはり63年続いた昭和から見ると、「明治生まれ」は歴史の彼方の存在に見える。

ちなみに、私の祖父母も明治生まれであったし、子どもの頃を振り返れば「明治生まれ」らしい気骨があったと言えなくもないが、特に祖父に関しては、大酒飲みで「品行方正」な孫としては、思い出したくないようなエピソードも数多いが、その一方で、戦中戦後の地域に対する貢献みたいなものは、記録として名前が残っているものも少なくない。

ちなみに、母方の祖父は、父方の祖父とは大違いで下戸であり読書家でもあり、私はどちらかというとこちらの祖父の血筋が強いのだろうと思われる。

令和2年に目の当たりにしているパンデミック

あと30年過ぎた頃に振り返ると、このパンデミックは、よくも悪くも社会のあり方、あるいは人類そのものの方向性を大きく変えるターニングポイントの位置づけになっているに違いない。

すでに、昭和4年1929)世界大恐慌を超越した恐慌になることが確定的となり、現時点での政権が、夏過ぎあたりまでの間にどのような選択をしていくのかが、未来を決定づけることになる。

良識ある世界的識者が言うように、「利他的」な態度を重んじ、世界的な連帯意識によって、「私」だけではなくて、未来の人類を含めた「みんな」が救われていく道を歩むことができれば、ユヴァル・ノア・ハラリさんがいうように、「人類にとって悪くない時期だった」と振り返ることもできるかもしれないが、その反対に、例えばアメリカが進んでいる「自国主義」のようなものが世界的に加速してしまえば、このパンデミックをきっかけとして、格差社会が一層拡大し、発展途上国や社会の中での底辺層には、もはや人権もないような時代に戻ってしまうかもしれない。

ただ、恐らくはっきりしているのは、国同士が核兵器に代表されるような強大な軍事力といったものは、このような事態の中ではほとんど無意味で、日本がアメリカからF35 のような戦闘機を購入し続けるようなことはナンセンスだということだ。軍事力を増強することに、もはや意味はない。アメリカは自国のことしか見ていないし、今のままでは中国よりもアメリカの方が、パンデミックからのソフトランディングに支障をきたすに違いない。このタイミングで、大統領が悪すぎる。

パンデミック後の日本社会は、ある意味では昭和における戦後社会と同じ様相を呈するかもしれないが、昭和とは全く別の人口減少社会にあって、戦後の日本が経験した高度成長の路線は、まずありえないだろう。

昭和という時代は、今にして思えば「やりすぎ」感の強い高度成長期で、その時代に最も働いた人たちが、たぶん今の年金制度の中では最も恵まれた受益者となっているわけだが、バブルの崩壊がもたらした計り知れない負債を思い出せば分かる通りに、令和にまで尾を引く後戻りできない傷を残してしまった。

20世紀末に、「環境の世紀」とも言われた21世紀に入り20年が経ち、昭和末期あたりには見向きもされかなった環境意識が、今ではエリート層においてのステイタスとなり、SDGs「持続可能な開発目標」なしには未来を語れないのが、今の社会の第一線にいる企業である。

昭和時代の戦後と同列のようなパンデミック後の社会でありながら、ある意味では、「昭和」が経験したような繁栄した社会とは決別し、自国だけではなくて、世界的に人類が生き延びるための「分け合い方」を実践していくのが、ここからの時代なのかもしれない。

自分だけが幸福であっても、それは社会的には不幸なことかもしれないし、自国だけが幸福であっても、それは世界的には不幸なことかもしれない。

あなたも私も幸福になるための分け合い方、といっても、社会主義的なそれではなく、あくまでも民主主義的な自由経済の中での、分け合い方。そこだよな。