楽山舎通信

わたじん8の日記です

曽祖父の100回忌で思うこと

2022年10月24日(月)晴れ。

平成28年(2016年)10月30日に亡くなった父親の七回忌を執り行った。

一緒に、曽祖父の100回忌の法要も行った。

檀家となっているお寺に行くと、今年の年回忌を向かえる故人の戒名が記されていて、そこに、当家の曽祖父の名前を見つけたのである。昨年母親が亡くなって、お寺に足を運ぶ回数が増え、たまたま今年は、母親の一周忌と父親の七回忌、そして曽祖父の100回忌の歳まわりだったのだ。

今年100回忌を向かえる故人の没年は、大正12年である。

大正12年で検索かけると、関東大震災が出てくる。まあ、このぐらい暗記してろよという年かもしれない。逆の言い方をすると、大正12年生まれが今年99歳ということになる。この100年を、けっこう最近ととらえるか、はるか昔のことととらえるかは、それぞれの家庭の歴史によって違うのだとは思うが、そんなに大昔の話でもない。その時代に生まれた人が、まだ生きているわけだし。

この曽祖父の没年から5年後の昭和2年に、父が生まれる。そして祖父は、この長男に曽祖父、つまり祖父の父にあたる人物と同じ名前をつけるのである。曽祖父と父は、同じ名前である。

私個人のファミリーヒストリー的には、けっこう大事なところではある。まあ、他人にはどうでも良い話になろうが。

計算すると、曽祖父の生年は明治7年ということになる。江戸時代じゃなかった。この曽祖父が、二本松市根崎の地に居を構えたのが、商売の流れとしては出発点になる。明治23年(1890年)に、床屋をはじめたということが伝わっている。これが曽祖父の時代で、私は継がなかったが、系統としては4代目ということになるわけだ。

4世代というのは、それほど長いスパンの話でもないが、その先は江戸時代に入るので、明治と江戸の境目というのは、時代の変わり目としては、非常に強烈なものだったのだなと、思わないではいられない。NHK大河ドラマの「青天を衝け」で見ていた、あの幕末から明治の物語の時代だ。

何しろ、そこがつながっていないと、今の私は存在していなかったわけだから、これはもう、感謝しかないわけである。突然巡ってきた100回忌の法要を行うことには、その感謝の気持ちがあったのだ。

「私」という存在の意思は、同じ血筋の中の、別の個体の中では生まれ得ないわけで、それは人間だけではなくて、他の生命にもあてはまることなのかもしれないが、「私」が「私」であることを認識し、私の意思が私の肉体を動かしているというのは、やはり実に尊いことだと言わざるを得ないのである。

神様は、私にあと何年の命を与えているのだろうか。

それは、ここまでのことである程度は運命的に決まっているとしても、この先の気持ち、私の意思の持ち方次第で、伸びもすれば縮みもするのだろうか。

真に一人の人間としての自覚を持ち、ここから先の伸びしろを手にするかしないかを決めるのは、ある意味で今の自分に課せられた選択なのだろう。

この選択、おろそかにはできぬな。