楽山舎通信

わたじん8の日記です

2022年4月2日(土) 「本家の跡取り」が、横浜野庭団地往復ドライブに行く

大黒PA


私の父親は8人兄弟で、そのうち、私の父を含めて5人はすでにこの世にいない。

私の父の弟にあたる次男の叔父さんは、横浜に住んでいた。私の遠い記憶の中に、横浜あるいは野毛山という街の記憶があるのは、言うまでもなく、その叔父さんのおかげである。

4月2日は、その「横浜のおじさん」の七回忌だった。

七回忌ということを知ったのは、お彼岸に菩提寺を訪れた時のことで、その叔父と私の父は、平成28年に亡くなっていて、自分の父の七回忌が今年だということはわかっていたが、叔父の七回忌も今年だったということは、失念していた。

その叔父の妻、私の叔母さんにあたる方は、まだ存命で、本来ならば、その方が施主となり、七回忌をやるならやるで、お知らせがあっても良かったわけだが、叔父の葬儀の頃、つまり6年前から、そういった「仕切り」のできる感じではなく、周囲が気遣っていろいろと段取りをしてきたのだった。

久しぶりに電話を入れて、叔父の七回忌が今年であることを告げ、横浜ではなく、二本松にあるお墓をお参りに来ることはできるか、と尋ねてみた。

すると、「迎えに来てくれるならば、行ける」という返事だった。

それで、私が段取りして、急遽七回忌の法要を、ごく少数で行う予定にし、4月2日の朝、叔母さんを横浜から連れてくるために、私は前の晩に横浜に向かったのだった。

前置きが長い。まあ、所詮自分のメモである。

ここまでの過程の中に、いくつかのポイントがある。

一つは、横浜の叔父叔母には、子供がいなくて、しかも、その叔母さんには、どうやら付き合いのある身内らしきがいないということだった。後期高齢者の一人暮らしで、しかも、多少認知症が入っているようだし、これからどうするんだろうと、気になることは気になった。

とにかく、叔父の七回忌に気づいて、おそらくこれが最後の法要だな、と思いつつ、叔母が「でかけてみよう」とするモチベーションを引き出した。ある意味では、「人生最後の」タイミングである。ちなみに、私の立場は、「本家の跡取り」である。

もうひとつのポイントは、「横浜の叔父」の墓が、横浜ではなくて、生まれ故郷の二本松にあることである。

これが、非常に重要なポイントだ。横浜の叔母さんは、もともと自分で電車(新幹線)に乗って田舎に来るということができない人なので、墓参りをすることは、困難な移動を伴うイベントであった。まあ、そもそも、90過ぎの後期高齢者が、横浜から二本松に移動するということは、自家用車に乗せられた旅だとしても、かなりの体力的精神的な負担になる。それが、刺激的で楽しいと思えるのは、たぶん精神的にもタフで、普段から「楽しみ」の作り方を知っている老人だ。

そのあたりの「負担」は理解していたし、しかもコロナ禍は収束していないし、いろいろと問題はあったのだが、とりあえず迎えに行くことを決めたので、でかけてみたのだった。ちなみに、「前の日に電話する」といって、電話してみたが、応答がなく、まあそれでも、行くだけ行ってみるか、という気持ちになったのである。

前夜の9時か10時頃に出て、大黒PAで仮眠する、という段取りだったのだが、金曜深夜の大黒PAが、走り屋さんたちの集会スペースになっているということは、予定外だった。まあでも、そこで夜が明けるまで仮眠できた。

東北道から湾岸に周り、横浜方面に抜けていくドライブは、都心環状で右左の車線変更を伴うスリリングなドライブに比較して、ダイナミックな東京湾沿いの風景なんかも目に入り、気分爽快になる。とりわけ、交通量の少ない深夜から早朝にかけては。

「から戻りだとしてもクルマで横浜に行ってみよう」という私のモチベーションは、このドライブそのものが、楽しいことを知っているからである。往復の費用は2万円。それだけ考えると、「高い出費」なのだが、これは、私自身の「横浜」へのけじめのドライブでもあった。

早朝の野庭(のば)団地に到着し、とりあえず、クルマを置ける場所、駐車場を探す。ナビで検索した駐車場を巡回し、程よい場所の駐車場に入れた。巨大な市営住宅の団地は、道端にクルマを止める、なんてことは遠方からの初心者には困難で、とりあえずコインパーキングを探すしかない。

野庭団地は、横浜市のホームページで見ると、6000戸の巨大団地らしい。そして、竣工から50年で、首都近郊の古い団地のもつコミュニティとしての問題点が、ここにも教科書どおりにあるんだろうなと思われた。そのリアルな姿が、「横浜の叔母」として、私の身近にあった。

この団地を訪れたのは、叔父の葬儀以来だから、6年ぶりとなる。とりあえず、この6年、高齢者施設に入ることなく、団地の4階に住み続けている、というだけでも、ある意味奇跡だと思った。横浜市は、福祉が充実しているという印象で、古い住宅だからこそ、それなりにケアする体制ができているのだろう。

4階の玄関先まで行って、ドアをノックしてみたが、(この団地では、設備としてのインターホンが撤去されているか使えないようにしてある)結局叔母に会うことはできなかった。

前日の電話にも出なかったので、会えないことを予想して、準備してきたPC打ちの「置き手紙」をおいてきた。それは、ある意味では、「縁の切れ目」としての役目になるのかもしれない、と思いつつ。こちらからの呼びかけに出ない以上、よくも悪くも、関係性はそこで終わる。

一人暮らしが不可能なほどに認知機能の低下が進めば、それなりにケアできる施設に行くしかないのだろうが、この先は、どこまで関われるだろうか。関わらないほうが良い、という身内の声もある。

お昼に法要の予定を入れていたので、どこにも寄れずに野庭団地から二本松にとんぼ返りしてきた。