楽山舎通信

わたじん8の日記です

2022年8月17日

8月17日。新盆が過ぎていった。

和室の半分ほどを使って飾り付けた盆棚と、提灯、お花。朝から片付けてしまっていいものだろうか。というか、片付ける。

我が家は高灯籠も高く上げていたが、新盆だからといって高灯籠を上げている家は、このあたりでは我が家だけだったようである。

これは、コロナには関係ないが、コロナ禍は、様々な儀式を簡素化してしまい、それは形式的なことにとどまらず、心が向き合うべき時間をも、簡素化してしまっているように、私には思える。形は、心の現れでもある。

ということが、コロナ禍の社会においては、逆説的に、より一層見えてくるのである。

単に形式的に整えているわけではなく、精一杯の心の表現として、それを表しているのである。