楽山舎通信

わたじん8の日記です

学校体育と生涯スポーツ

福島民友新聞の「マイストーリー」で、片平俊夫先生の連載が終盤に来た。

連載の内容は、ふくしま国体の強化対策部長としての活動の記録が主だ。

ふと、高校時代の体育の時間を思い出し、懐かしくなった。私は陸上部ではないが。

私は、運動音痴で体力もなく、体育は大の苦手だった。特に小学校時代の体育は、他のみんなができることが全く出来ず、その日に体育があるというだけで、朝からものすごく憂鬱だったのを思い出す。

小学校時代の体育の成績は、5段階評価で2か3で、6年生まで行く。当時、放課後に近所の友だちが集まってなにかすると言えば、草野球で、野球はなぜか好きで、ジャイアンツのユニホーム買ってもらったりして、真っ暗になるまで草野球していたこともあった。

中学に上がっても、体育嫌いはそのまま続いたが、一年の頃だけ野球部にいた。2年に上がる時に、ふるい落とされる感じでやめた。そりゃあ、見込みのない下手くそなの何人もいても、1年生入ってくるとジャマになるという感じで、その時点で運動部の活動はなくなった。そして、のびのびとサイクリングに熱中しはじめる。1962年生まれの私が中学生時代、およそ空前の自転車ブームが来ていた。自転車に乗ることが「スポーツ」という認識はなく、ただの遊びのひとつだったが、この出会いは大きかった。

高校に進んでからは、登山やサイクリングで身体を動かすことが楽しくなってきたということもあって、それなりに体力も付くようになっていた。それでも成績は、10段階の5か6といったところだったが。

高校3年の時の体育担任が、片平先生であった。私は、山岳部の主将で県代表としてインターハイに行ったということもあってか、体育の成績は高校3年時が一番よかった。それもあって、片平先生の印象が良い。運動音痴ながらも、それなりに向き合えるスポーツができた。

3年生最後の授業は、体育館の床に座って、答案用紙に「小論文」形式の感想文を書くといった内容だった。他の時間のことはすっかり忘れているが、机上の保健体育の時間じゃなくて、体育館で身体を動かす時間に、記述試験がでてきて、私はフリーな記述試験で書き込むのが嫌いではなく、「体育の意義」だったか「スポーツの意義」だったか、そんな感じの小中高「体育」の集大成的な小論文を書いたのを、なんとなく覚えている。

高校を卒業しようとする私は、小学生時代に大嫌いだった体育が、それほど嫌いではなくなっていた。そして、大学では「体育会」のワンダーフォーゲル部に入部するのである。山岳部という選択肢が最初にあったのだが、「自転車」が捨てがたく、「自転車でシルクロードに遠征する」という、新人勧誘の謳い文句に速攻で落ちた。あの時のワクワク感が蘇る。

還暦となり、ふりかえれば「登山」も「サイクリング」も、私にとっての生涯スポーツとなっていた。

アスリートレベルではないにしても、心拍数見ながらまあまあ追い込めるトレーニングは続けている。と、自分では思っている。ここからが本番、だろう。

まあ本当は、登山の世界で、少しは名の知れたレベルの達人になるべきところではあったが、社会に出ると、「趣味どころではなく」いろいろとあるわけで、今もそこそこに登山できるだけでも、感謝である。