先週の日曜日は、台風並の暴風。その前は雨。天気に恵まれない4月の週末で、実は昨日今日も寒気の影響によって、北海道では平地でも降雪があったらしい。
天気予報は晴れながらも、風と気温がどんなものかと思い、アメダスで鷲倉のデータなんか見て、行くならそれ相応の防寒対策は必須だなと、ドイターのレースXがパンパンになるくらいまでダウンやらゴア雨具やらインナーやらグローブやらを詰め込み、とりあえず過剰とも思える装備は万端。
この時期のヒルクライムは、ウエアの判断間違うと下りが地獄。経験済みであった。
この日曜日は、バックカントリースキーというプランもあったが、燧や鳥海山などは、いつも使う道路の通行止め解除が来週の29日。雪融けが早いからと言って、解除も早めることはない。雪崩と凍結というリスクを避けるためには、やはりいつもどおりの日程になるということか。ということで、行き場がなくて、これまた恒例の浄土平クライムとなった。
私が付けているサイクリングの記録の中で、浄土平クライムは、中学3年の、1977年4月24日(日)が最初で、これはソロ。自宅から浄土平まで、5時間40分かかっている。ちなみに、115号に出るまでの道路が今とは大違いで、未舗装路も多かった。そんな時代だ。写真見ると、上下が普通にジャージで、防寒着も着ていない。寒かったという記憶がないので、まあ若いということもあるが、天気に恵まれていたのだろう。天気悪いとどういうことになるかを知っている今としては、昔の自分にゾッとするが。
あの第1登以来、今日のクライムで何度目になるかと考えてみたが、2009年にロードバイク買う前まで、26インチフルリジッドのアラヤマディフォックスに、細いタイヤを履かせてクライムしていたので、福島に戻ってから26年で、最低でも50回以上は上がっているか。高湯側からは、たぶん10回以内で、立地的に土湯側からばかりとなる。
5月上旬までの、雪があるうちに一度上がるというのも、自分の中では恒例行事。200mから1620mまでのクライムで、空気が変わっていく感じが、たまらなく好きで、とりわけ雪とオオシラビソの匂いが優勢になる1500m以上で感じる自然の気配は、たまらない。
今日は、野地温泉の下あたりまではSSジャージに保温材入のジャケットだったが、そのまま行くと寒くて耐えられなくなるような冷たい風になってきた。風の当たらない場所で、とりあえずベースレイヤーにモンベルのジオライン(中厚手)を着込む。これが汗でびっしょりになるような気温でもなく、ちょうどよい。バックカントリーでの登りのウエアより一枚多いぐらいの着込み方。
最初は着込みすぎと思っても、土湯峠からスカイラインに入るとさらに冷えてくるので、ちょうど良かった。
時間帯が少し早いからか、クルマはそれほど多くなく、快適に登っていける。土湯峠から浄土平までは、割と楽なイメージになっていて、高度上げていくと植生が変わっていき、テンションも上がる。
今までなかった「浄土平まで5キロ」表示の案内板が設置されて、さらに「3キロ」表示も設置されていた。まさに、「自転車乗りのための看板」と言っても良い。
道路上に大きく表示された標高を見て、1500を見ると「あと120m」と思う。登山と同じで、水平距離よりも高度的にどれだけ残っているかが重要なポイント。
最高地点の1620mの場所に、サイクリストが二人いて、写真撮影をしていた。私はこの場所で写真撮ることはなくなってしまった。何十回も来てるし、この場所は自転車止めるには狭すぎて嫌いだし。
浄土平の駐車場には、すでにたくさんのクルマが入っていて、身軽な装いで吾妻小富士に登っている人も多い。
「浄土平」の看板をバックにお決まりの写真撮影。ビジターセンターの脇まで行って、東吾妻方面を見ながらダウンヒル用に着替え。中間に薄手のダウンジャケットを着込み、アウターにゴアテックスの雨具。グローブは、登りの途中から冬用を着用していた。指切りグローブでは指先の感覚がなくなるので。
一度高湯側に下り、お決まりの場所で写真撮って登り返して、土湯側にダウンヒル開始。
「雪の回廊」のあたりで写真撮影のために下車し、あとは一気に道の駅つちゆ付近、標高750mまで。この900mぐらいの高度差の植生と気温、空気の変化が楽しい。芽吹きが始まっているのは、標高850あたりから。ダウンヒル用に着込んでいたものを脱いで、薄着になって自宅までさらにダウンヒル。下りは運動量がほとんどないので、身体は冷える。ちなみに、ガーミンによると、登りの運動負荷は385で下りは67。当たり前だが圧倒的な違い。
今年は、浄土平に何度登るだろうか。