楽山舎通信

わたじん8の日記です

2023年4月 自転車乗車時のヘルメット着用が努力義務となったが

2023年4月13日。

ここ3日ほど、福島駅というか、曽根田駅からほど近い場所で仕事をしていた。

現場の面する道路は、狭い割には交通量が多く、福島駅西口へのアクセス道路として重要な場所でもあり、途切れることなくクルマが通るだけではなくて、主に自転車通学と思われる高校生が大量に通過していた。

しかし、ここを通る自転車の人たちで、ヘルメットを着用しているのは、印象で言えば0.5%以下であり、高校生でヘルメットをかぶっている人はゼロだった。見ていた時間帯は、お昼と3時の休憩時が主で、全時間帯でもないが、ちょっと驚きの光景であった。

ヘルメットをかぶっているのは、小中学生の一部と、ママチャリや電動アシスト付きに乗っている高齢者などで、スピード出して通り過ぎるようなスポーツバイク乗りも、ヘルメットをかぶってはいなかった。

それよりも、T字路交差点の、直線側に止まれ標識のある交差点で、この「止まれ」を無視して通り過ぎる自転車があまりにも多く、この場所で警察が交通安全指導をすれば、忙しすぎて大変なことになるだろうなと、素直に思った。

高校では、通学時のヘルメット着用に対する指導をしていないのだろうかと、ふと思った。「努力」義務だから、まあ本人の意識次第ということか。

サイクリングを趣味とする私の場合、もちろんずいぶん前からヘルメットは必須の装備であるが、じゃあ、いつからヘルメットを被りだしたかというと、30代後半からの話となり、補助輪なしの自転車に乗り出したのが8歳だとして、人生の半分以上はヘルメットなしで過ごしていたことになる。

もっとも、ロードレースにヘルメット着用が義務化されたのは2004年らしく、そういう視点で見ると、私がヘルメット被りだしたのは1998年あたりのことなので、一般的な自転車乗りとしては、そう遅くはないという話になる。

ちなみに、最初の自転車用ヘルメットを購入したのは、マウンテンバイクを使うアドベンチャーレースに出場するためで、それをきっかけにMTBのレースに毎年出場するようになった。MTBで、富士山スカイラインダウンヒル中に転倒し、ヘルメットを潰すような衝撃を受けたことがあったが、とありあえず麻痺もなく生きている。ヘルメット被っていなかったら、たぶんスピード抑えていたとは思うが、ノーヘルで事故っていれば、生きていないか、何らかのハンディキャップを抱えて生きていることになっただろう。

痛い思いをすれば、「ノーヘル」は考えられなくなる。というか、ノーヘル状態で、数限りない冒険的なサイクリングをしてきた自分としては、特に高校生時代を振り返るとぞっとする。

そういえば、高校生時代に、「ノーヘル」がやばいと思うことがあり、建設工事用のヘルメットを近所の金物屋で購入して被っていたことがあった。当時から、スカイラインとゴールドラインという山岳道路が好きで、ゴールドラインを一人で最初に走りに行った時の写真には、工事用ヘルメット被った自分がいた。

自転車用のヘルメットは、1998年に1つ目を購入し、今使っているので5代目になる。ヘルメットには使用期限があり、厳しく言えば3年ごとに買い換えることになる。この使用期限と自転車保険の関連はどのようなものなのかわからないが、「3年」というのは、結構短いし、使用頻度にもよるが、それほど劣化するものとは思えない。

仕事が建設業なので、建設現場の高所作業でヘルメットを被ることは日常的なことになっているが、自転車や仕事の他に、登山でもヘルメットを被ることが多くなった。

私は、ロッククライミングはやらないので、岩登りのためのヘルメットというわけではなく、一般的な登山(と言っても岩場もある)、とりわけスキー登山におけるヘルメットの着用になる。転倒の衝撃というよりは、第一に「落石」から頭部を保護することがヘルメットの役目になる。これまた、一度怖い体験をすると、ヘルメットなしはありえなくなる。

自転車通学の高校生の話に戻るが、電車と自転車を乗り継ぐパターンの場合、「被っていない時にヘルメットがじゃまになる」、というのが、最大の問題だろうか。自転車置場に置いておく自転車に、ヘルメットを緊結しておく、というのも、なかなか手間のかかることに思われる。ヘルメットを持ち歩く、ということが、電車通学の高校生に広がるとは思えず、中学生はヘルメット被れても、高校生が被れない現実的な理由を思えば、努力義務の中で、これ以上着用率が高まることはなさそうである。日常的な自転車利用で、時速20キロ以下みたいな条件の中で、「ヘルメットは必要か?」と問われれば、私は「なくても良いでしょう」と答えるが、転倒のリスクが高い状況で自転車に乗るならば、着用は常識、ということになるか。