楽山舎通信

わたじん8の日記です

2023年3月11日(土) それぞれの3月11日〜 牛田智大ピアノ・リサイタル

3月11日だ。

2011.3.11 から、12年。干支が一回りした。うさぎ年だったのか。

今年の3月11日は、福島市音楽堂の「牛田智大ピアノリサイタル」を早々と予約していた。3月11日に、いわき出身の牛田智大がピアノを弾く。これは、逃せない。そう思っていた。

2時開場3時開演。ということは、震災発生時刻の2時46分は、ホールの中にいることになる。特別な時間に、特別な空間にいるということは、きっと忘れられない時間になるのだろうと、予想はしていた。

2時40分すぎにホールに入り、ど真ん中よりも若干後ろよりの席に腰を下ろし、落ち着いたところで黙祷のアナウンスがあった。客席に座っていた人が、皆起立し、それまで賑やかだったホールが、演奏者を待つ時間のようにひっそりと静まり返った。

コンサートホールという空間の持つ独特の気配の中で、黙祷の1分間はとても長く感じられ、目を閉じていると、様々な出来事がまぶたに浮かび、自然と涙が出てマスクの下に流れていった。開演前のホールで黙祷を共有できたのは、500人くらいだろうか。最終的に7割くらいの入りだったと思われるので。

きっと、それぞれが、それぞれの12年前、あるいは12年間の哀しみや喜びを持ち、牛田智大という福島出身の若きピアニストの音楽を聞くために、3月11日という特別な日、たまたま音楽堂に居合わせている。

そこには、震災で大切な人を失った人がいたかもしれないし、避難者となって、故郷を追われて福島市などで新しい生活を始めた人もいるかもしれない。いや、きっとたくさんいたことだろう。そしてきっと、特別な日の、牛田智大の祈りを込めたピアノの音になにかを感じて、また新しい希望の中を生きてゆく。

この日のプログラムは、シューベルトシューマンブラームスの若い頃の作品から。3月11日という日を、念頭におきながらの選曲という話だった。

それぞれの楽曲には、もともと鎮魂のイメージなどはないのだろうが、3月11日という日に聞くと、やはり演奏の中に、「祈り」を感じないわけにはいかなかった。

私は、2月26日に、同じ音楽堂のコンサートホールで清塚信也のピアノソロを聞いていたのだけど、あの日の満席の会場とは、全く別の空気が流れていて、ステージの上には、たぶん同じスタインウエイのピアノが1台だけなのだけど、全く違う空間だった。できれば、牛田智大演奏のピアノは、ヤマハが良かったと思うのは、私だけだろうか。

この日のメインプログラムは、後半のブラームス ピアノ・ソナタ 第3番 ヘ短調op.5。ブラームス20歳の時の作品で、5楽章で約40分という大作である。ほんとうに聴き応えのある壮大なピアノ・ソナタだった。私は、個人的に拍手やMCで音楽が途切れる小品詰め合わせタイプの演奏会があまり好きではなく、そういう意味でも、第1楽章から第5楽章までの展開が、とても劇的で心地よかった。

2023年に入ってから、このコンサートでピアニスト6人目。

藤田真央&務川慧悟が中止にならなければ、8人目のピアニストだったが。

ピアノ・リサイタルだけを追いかけているわけでもないが、なぜか全部ピアニストで3月まで来てしまった。反田恭平のは、自身が指揮で、オーケストラ付きだったが。

もちろん、この中で誰が一番などという順位付けができるわけもなく、それぞれが、それぞれの持ち味を持って、全然違うのだった。ということが、若干わかるようになっただけでも、少しは聞き手として成長しているのだろうか。

やっぱりピアノが好き。

 

牛田智大 ピアノ・リサイタル