楽山舎通信

わたじん8の日記です

戒名(かいみょう)

亡くなった母は、死ぬ4日前の朝、「戒名を考えた」と言って、私にその戒名の文字を伝え、その意味を私に話した。

それを、ここで詳らかにするのもなんだかなあとは思うが、ここには一つのドラマがあった。

戒名というものは、そもそも「自分で」考えて決めるものではない。我が家の場合で言えば、天台宗のお寺の住職から授けられるものであり、「母が自分で考えたのでこれでお願いします」と言って通るものではない。常識的には。

しかし、死ぬ間際の母親が、自分で自分の人生を振り返り、その結果たどり着いた戒名ならば、「安心してあの世に行ける」と言った言葉は重い。

最後に「大姉」という文字を入れて、全部で9文字。仕事のこと、5年前に亡くなった夫の妻であったこと、そして音楽を愛していたこと。それらを9文字で表していた。

自分で決めた戒名を置いて、間もなく母が死に、菩提寺の住職と戒名の話をする段取りになった時、私は、母が考えたその戒名をお寺に持っていき、「これでお願いします」と言ってみた。

当然、「そのまま使うわけには行かないので、私にまかせてください」と言われたが、簡単には引き下がらずに、母自身が、この戒名ならば安心してあの世に行けると言っていたのだから、問題はないはずであると主張してみた。

素人が考えた戒名の文字列では、「戒名」のルールを無視していることもあり、住職からすれば「私が考えたと思われると困る」とか、体裁上の問題を指摘されたが、まあ、そういったことは私にとっても母にとってもどうでも良いことであり、母の考えた戒名の意味と母の人生について、住職に何度も説明した。

そうしておいて、最終的には、住職にすべておまかせすることになった。

お通夜の夜、お経を読む副住職が私のもとに来て、母に授けた戒名を見せてくれた。その文字を見た時に、私は一瞬で「ありがたい戒名です」と、喜びを顕にした。

10文字の中に、母が考えた文字は6文字あり、使われなかった3文字の印象を考えると、全体的にとても自然な感じでまとまっていたので、私はそれで大変満足している旨を、お寺側に伝えた。

どのような戒名を希望するかという、お寺側と私たちとの話の中で、肝心な部分は「お布施」にいくら包むのかというところである。いわゆる「戒名代」である。

要するに、料金的に、高い方にするのか安い方にするのかという話である。9文字で考えた文字が10文字になり、院号が入るということは、母が考えていた戒名の料金よりも、ワンランク上がるということである。墓碑銘に文字を刻むと、5年前に亡くなった父親と同じ文字列になる。

そこのところで、ケチった発想は私の中にはなくて、祖父母や父の戒名などとの関連から、戒名代がいくらになるかも予想していて、具体的な金額を提示して、お互いが納得した形での戒名となった。

同じ宗派、同じお寺であれば、戒名を見ればその料金がわかる。「だから、何?」って話でもあるが、戒名の料金設定などは、そろそろ時代に合ったもの、もう少しオープンなものに変える必要があるかもしれない。

生きている時には、ほとんど付き合いのないお寺と、死んだ時にはじめて大きな接点を持ち、戒名を授かって仏門に入る。

信仰があろうがなかろうが、慣例的に続いてきた仏教的な儀式の中に、死後は否応無しに納まって行き、一族の墓の中に同じように葬られるのである。そして、「ご先祖」という、ひとまとまりの大きな存在となっていくのである。

母の戒名をめぐる、ちょっとしたエピソードを振り返りながら、結婚もせず子供のいない私は、そろそろお迎えが来そうだなと思う頃に、現世に存在中に、それなりの戒名を決めて、お布施も出しておこうかと、真剣に考えている。