楽山舎通信

わたじん8の日記です

私はなぜ、こんなにクラシック音楽好きになっているのか

私は、私自身の音楽の趣味の変化に、ちょっと驚いている。

音楽の好みというのは、千差万別で、「誰か一人のアーティストの熱烈なファン」という狭いカテゴリーにおいての共通性はあるとしても、あまりメジャーではないアーティストになってくると、1万人に一人とか、へたすると100万人に一人とか、そういうレベルにもなっていく。

私で言えば、ジャズギタリストのパット・メセニーの熱烈なファンで、1980年代から、リアルタイムでパット・メセニー・グループのアルバムは買い続けてきたし、95年からは、来日公演情報にアンテナを張って、なるべくコンサートに出向くようにしていた。

大学卒業後から、かなり長きに渡って、パット・メセニー・グループの音楽が私の音楽的趣向の中心にあり、なんなら、それ以外のアルバムは買わなくても良い、というぐらいの偏狭ぶりだったのだが、まあそんなわけには行かず、一時期は「アドリブ」という、ジャズ・フュージョン系の雑誌を購読していて、新旧問わずに、その世界の音楽にどっぷりハマっていた。この分野には、ボサノバも入ってくる。一時期は、ボサノバ系の音楽にかなり凝っていた。

そんな私が、なぜか今どっぷりハマっているのが、バロッククラシック音楽なのである。いや、正確にいうと、この傾向はたぶん10年くらい前から始まっていて、私は普段NHKFMしか聞かなくて、しかも、聞きたい番組以外はラジオのスイッチを切ってしまう人間である。現場でラジオつけっぱなしにしていないのである。まあ、だから何? だろうけど。

少なくとも10年以上前は、「クラシックカフェ」などのクラシック番組を積極的に聞くことはなかった。

耳が、クラシック音楽には向いていなかったのである。

振り返ると、入り口は「きらクラ!」だった。

ふかわりょうさんと遠藤真理(産休で代役の時期も)さんによるこの番組は、ほんとうに面白かった。お笑いタレントのふかわさんの、全く別の一面というか、ここを入り口にすんなりとクラシック音楽に入っていける、というところが、他のクラシック番組にはない、「特別な入り口」だったかもしれない。

「きらクラ!」は2020年の3月に、突然終わってしまい、私はいわゆる「ロス」な気分を味わっていたが、その頃の私は、すでに他の様々なクラシック番組を聞いたり見たりするようになっていた。

思い出せば、そこからだ。

NHKのテレビ・ラジオ問わずに、クラシック番組の情報は基本的にすべて目を通し、気になる番組は落とさないようにアンテナを張り出したのが、2020年あたりからということになる。東京に出向いて鑑賞するコンサートも、クラシック中心になっていく。

もちろん、ジャズ的な嗜好性も残ったままで、だからこそ、クラシックとジャズというジャンルの垣根を超えて演奏するアーティストは、特に好きになっていくわけで、昔から「小曽根真がすきだったわけ」に、「ああ、オレの音楽的嗜好性は、実は一貫してるんだ」と納得するわけである。

クラシック音楽のコンサートに度々行くようになると、マイクとスピーカーを通したコンサートが、なんだか味気なく感じられるようになってしまう。生音か、増幅か、ということの差は、やはり「別の音」といいたくなるぐらいに、全然違う。違うのだ。

今、たしかに言えることは、とりわけ弦楽、ストリングスの響きの違いを耳が嗅ぎ分けるようになり、その「弱音」の聞こえるか聞こえないかというピアニシモの世界の恍惚を、私が求めているということである。

そうしてみると、パット・メセニーのアコースティックを、アンプラグドで生で聞く、というのが、私にとっての最上の贈り物なのかもしれない。

アコースティックで生音となると、ブルーノート東京のようなクラブよりも、音の良い小ホールということになるが、次の来日は、そういうライブでお願いできないだろうか。

あ、6時になって時間切れ。