楽山舎通信

わたじん8の日記です

「未来と芸術展」の感想など

福島在住の私が、東京に出た時に見たい展覧会というのはいくつかチェックしていて、Googleカレンダーには9つリストアップされている(1月20日時点。2月2日現在は3つ)

そのうち2つ見てきた。

 

1月20日月曜日、休館の美術館が多い月曜日である。メインはクラシックコンサートなので、月曜日も開催してる中から「未来と芸術展」(森美術館)を選択した。

森美術館は、日比谷線六本木駅が最寄りなのだけど、東京の街歩きも好きで、中央線信濃町で降りて、歩いているだけで幸せな気分になれる「外苑東通り」を国立新美術館まで歩き、先に「DOMANI・明日2020 傷ついた風景の向こうに」を鑑賞した。

「未来と芸術展」と「DOMANI」を較べると、先に「未来と芸術」でも良かった。
この2つの展覧会の対比。

非常に示唆に富み、「未来」に対する自分の捉え方を、究めて鮮明に浮き出した。

DOMANIの方は、究めて人間的な印象が強いのに対して、「未来と芸術」は、究めて機械的であり、もうほとんど「人工知能」に支配されていく世界の窮屈さ、どうにも我慢のできない居心地の悪さでしかなかった。

と、結論を先に書いてしまうと、話はここで終わってしまうが、この言いようのない違和感に満ち溢れた空気の一旦を、吐き出しておくことにする。

森美術館のチケットカウンターでチケットを買い(前回の塩田千春展は30分待ちだったが今回は待ち時間なし)、最初に案内されたのは、人口知能で歌う美空ひばりの映像。ネット上では、これが美空ひばりへの冒涜であるという意見も出ているが、私もこれは「技術的にこれができます」ぐらいの話で、カネ払ってこれを見るかというと、見ない。すでに、最初から「否定的」な作品で嫌な予感。

エレベーターで53階に上がって、「未来と芸術展」の会場。塩田千春展の時のような混雑もないし、美術展に来たという、高揚感を高める演出もない。そもそもが、「美意識」に訴えかける何かではなくて、どちらかというと、「未来」に対する哲学的な命題の手がかりを作品として提示したものの集合体という形になる。

写真撮影可。不可だったのは手塚治虫の展示作品と他2点。動画1分以内可。係員がくまなく配置されていて、監視体制はけっこう万全。

WEBで確認すると、63のチームあるいはアーティストの作品展示ということになる。ざっと見て振り返り、名前と作品が一致するのは、手塚治虫しかいない。良し悪しは別として、印象的なモノは多かったが。数が多すぎて食傷気味。

「未来と芸術展 AI、ロボット、都市、生命」というタイトルは、AIが導き出したとされる。

この展覧会に共通して流れるのは「AI」人工知能、それだろう。

 

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H.O.R.T.U.S.XLアスタキサンチンg

リーフレットの表紙になっているこの作品。芸術的(美的)にどうかという話ではなくて、能書きを読んで初めて理解できる。これが象徴的で、ほとんどの作品は、能書きを読まないと「意味」がわからない。まあ、形と雰囲気から、「なんとなく」頭の中にイメージを作り上げ、それを自分なりに解釈していけばそれでいいのだろうが。

 

ちなみに、ロンドン拠点の「エコ・ロジック・スタジオ」によるこの作品は、「バイオ技術をつかった彫刻」であり、3Dプリンタでの出力に最適化された3次元のブロックのデザインらしい。

「建築や都市の形を環境に順応させるべくコンピュータで最適化をおこない、生物との融合によって機能を作り出す本作は、機械と自然の双方の知性を組み合わせることで生まれるのです。このようなアプローチは、デジタル技術が熟成し、デザインとライフサイエンス、神経科学、生物学などが融合することによって新たに生まれる建築の平野を描き出しているといえるでしょう。」と、作品解説にある。

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Xクラウド・シティ

作品展示では前後してしまうが、こちらも3Dプリンタによってつくられるモジュールを基礎として作り上げる居住空間の提案。

前提としてあるのは、「地表に住むことが困難となった近未来」という未来意識。

非常に逆説的な捉え方をすれば、この「未来展」は、地球環境が今のような「人類にとって最適な」状態ではなくなる未来が前提なのである。ほとんど破滅的な未来のその先に「人類が」生き延びるために、技術をどう使うか、的な発想のパレードである。

このことは、自分の中ではユヴァル・ノア・ハラリの「ホモ・デウス」の「テクノロジーとサイエンスの未来」に共通する。この、どうにも「居心地の悪い未来」。サイエンスによって「作り出される」未来、あるいは生物などなど、いや、「そこまでするかよ」という、どこかで誰かがブレーキを踏む必要性を痛感する。

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展覧会見終わって、美術館のある六本木ヒルズ森タワー52階から見る東京の風景に、なぜかホッとした。

この緑を残す都市景観を「前提とできない」未来に入り込む前に、踏みとどまるためのライフスタイルこそが、必要なんだよ。