楽山舎通信

わたじん8の日記です

2022年3月2日 武満徹 弧(アーク)@東京オペラシティコンサートホール(その1)

2022年3月2日水曜日、東京オペラシティに出かけて、武満徹の作品を鑑賞してきた。

「現代音楽」というジャンルで、日本の作曲家の中で最も知名度が高く、世界的な評価も高い作曲家が、武満徹である。そして、東京オペラシティコンサートホールは、「タケミツメモリアル」というサブネームがある、武満徹音楽の殿堂でもある。

昨年の12月16日に、ベートーベンの「第9」をオペラシティで聴きに行った際、3月に武満徹の音楽が演奏されることを知り、その時点でチケット購入を決定したので、自分にとっては理想的な座席を確保することができた。

チケット発売数日で、ほぼ完売に向かってしまうコンサートと違い、私が見た12月から1月の時点では、ガラガラの状態で、「良い席」にも空きのある状況だったので、果たして、このコンサートは観客でいっぱいになるのだろうか、などと勝手なことを思っていたが、コンサート直前の「当日券販売」のSNS情報を見た限りでは、「残席僅少」に達していた。

演奏機会の少ない武満の作品が、大々的にオペラシティで演奏されるのは、そうそうあるものでもなく、熱狂的なファンがいることは予想されていたが、クラシック音楽の世界の中では「特殊」といえる武満の音楽に魅了されるファンは、どんな人達なのだろうと、そこにも強い関心があった。

コンサートという一期一会の「生演奏」の場は、それをめがけて集まる人々の、エネルギーが結集する場でもあり、それは、ロックフェスなどに集まるファンのエネルギーの炸裂する様子を想像すればわかりやすいが、つまりは、一種のお祭りなのである。

「そこに自分がいる」という、「場の体験と記憶」が、ラジオやCDで音楽を楽しむこととは、似ても似つかぬ貴重な体験となるのである。そうして、人は、その思い出を反芻しつつ、そこから先の人生を生きていくのである。あるいは、その数日後に死んでしまうとしても、その場の体験と記憶が、「生きる歓び」として、刻み込まれるのである。

こうして、3日前のことを思い出してブログを書いていると、自分の「趣味が変わったな」ということを、痛切に感じる。車で、あるいは新幹線で東京に出かけて、いや東京じゃなくても良いのだけど、やはりコンサートホールの質と数という点からも、音楽藝術の発信拠点は、東京、その場所であり、オペラシティのコンサートホールのような場所は、音楽信者にとっての「教会」のような存在でもあり、数ヶ月に一度、その場に「詣でる」ことが、生きがいの節目となって、人生を豊かにしていくのである。

それは、登山やブルベなどの自転車旅行でも同じ訳なのだが、私の中では、あきらかに「アウトドアアクティビティ」から「音楽鑑賞」にシフトした。

そして、私の音楽鑑賞の趣味は、ある意味「コロナ前」と「コロナ後」に変化があり、それまでの「ジャズ系」から「クラシック系」に軸足が変わりつつある。

といっても、私は、「ジャズ」と「クラシック」に明確な境界をおかず、ゆらゆらと、そのあたりの音楽世界をさまよっている感じなのだが、「生音」という、明らかな「差異」の存在するクラシック音楽のコンサートは、耳を通して感じる心地良さが、アンプとスピーカーを通したジャズ系とは、あきらかに違うのである。

生音の心地良さに取り憑かれると、クラシック系の鑑賞が多くなる、のかもしれない。

生音にこだわると、大ホールで音楽を聞く場合、座席の位置は、とても重要になる。

ホールのどこで聞いているか、で、伝わる音伝わらない音が生まれてしまう。

ホールの中で、自分にとってどのあたりがベストシートなのかを判断するには、同じホールのコンサートで、席を変えて聞いてみるという体験を繰り返すことが必要になるかもしれないが、まあでも、音にこだわるならば、ホールの「中央ラインの前より」が、定番なのかと思う。残席僅少になった時に、残っているのは、両サイド、あるいは後方とかバルコニー席の隅である。

ただし、中心ラインの前列の方というのは、音の聞こえは良くても、かなり緊張感のある鑑賞になる。自分自身が、物音を立てることが許されない位置、でもある。聴衆としての参加者の中でも、それなりに責任の発生する場所になる。

オペラシティのコンサートホールの中、あの空間を見ると、やはり端っこじゃなくて、ど真ん中あたりで、高い三角天井の、「空から降ってくる音」を体感してみたいと思ってしまう。というわけで、12列めの18番という、予約時点で選択可能だった席の中では「ここしかない」場所を選んだ。

 

ウィズコロナの時代になり、防御的に「マイカー移動」がデフォルトになった。というよりも、東京で終演が9時になるコンサートは、場所にもよるが、新幹線の終電に乗ることが難しい。私は、一度「5分遅れで終電逃し」を体験し、たまたま財布もクレジットカードも持たずに「スマホの中のSuica」だけという厳しい状況でホテル手配もままならず、那須塩原止まりの最終新幹線に乗って、その後、夜通し西那須野から新白河まで歩く、という体験を11月の寒い夜中に体験したことがあり、それ以後、7時開演のコンサートはクルマで行くことに決めた。

クルマで都心に向けて走り、首都高速の「あの流れ」の中で、ナビゲーション通りに目的地にたどり着く、というのは、けっこうなスキルを要する。まあ、カーナビのバージョンとか案内する能力の差にもよるが、基本的にiPhoneのグーグルマップをナビに使う私の場合、ナビはあくまで補助的な手段に過ぎず、だいたいの道順は事前に頭に入れて予習しておく必要がある。そして、ドライブは、ナビゲーション頼りよりも、自分の頭の中にある地図を引き出して、それを頼りに走るほうが、楽しい。楽しい。そう、東京にクルマで入ることは、楽しいのである。

やばい、本編に辿り着く前に、予定外に長くなったので、ここで一旦投稿。